〈『アリーテ姫』との出会い、そして制作開始〉

 はじめて原作「アリーテ姫の冒険」を新刊広告で知ったのは1989年です。きちんと自己を確立させた人間、個を持った人物を描いた物語だと期待感を抱きました。世の中のしがらみに囚われず、周囲の声に振り回されることなく自分の歩むべき道を進む。それは理想の主人公であり、観る人の心に窓を開け放つだろう。まさにエンタテインメントの本質をそこに感じました。私はその力を志していかなければいけないし、とても面白いものが作れるだろうと思いました。
 旧知の田中栄子プロデューサーから映画化しようと持ち込まれたのが92年。
 以来、色々な仕事をこなしつつ準備を始め、本格的に取り掛かったのは97年の夏の終わりからです。秋にシナリオを書き始め、翌年4月には、僕以外のスタッフも現れて準備室を設けました。そこで、キャラクターを作り、脚本と絵コンテを進め、98年8月いよいよ作画に着手しました。
 実は95年にも一度本格的に動き出そうと思いましたが、その時始めなくて良かったと思います。「人間」を描くにはまだまだ未熟でしたから。僕の作り手としての熟成を、この作品に待ってもらったようなところがあります。

〈自分の手:デジタルでぬくもりを表現する〉

 ヨーロッパの映画を意識しました。シナリオを書きつつ、音楽もヨーロッパ的にと考えました。
 もうひとつには、映画の中のアリーテも自分の手をしばしば見つめていますが、人の手が生み出す魅力、人の手に秘められた可能性の素晴らしさ、僕らは常にアニメーションという現場でそれに直面しているわけです。アニメーションは全てが人の手が描いたものでありながら、あれほどの世界を表現出来るのです。そして、その手が描くものには、その奥に存在する人の心を感じさせてくれます。そこにアニメーションの魅力があり、だから実写の可能性が広がって行こうとも、決してその輝きは損なわれないでしょう。
 総作画枚数は8万数千枚です。仕上げ以降はフルデジタルで処理しました。
 背景の美術スタッフには、筆目を強調するような描き方を工夫してもらいました。絵描きの中には筆目を一切見せずに滑らかに描く方もあり、それこそ「人の手で描いてここまで出来るものか」と奇跡的な印象を覚えさせられることもあります。でも、CG全盛の世の中だとすればだからこそ、僕は筆目──人の手が描いたのだという足跡──がいっぱい残っていて欲しいと思うのです。筆の跡は拡大してまで撮りました。それくらいの気持ちで作りました。
 音楽も打ち込みではなく、生楽器──しかもできるだけソロに近い方がいいと思った。楽器から醸し出される味わいを耳に残したくて。声優の芝居にも、録音部が嫌がるくらいのつぶやきを期待しました。そういう人の手作り感や息遣いのひとつひとつまで全て残すように作り上げました。

〈『アリーテ姫』そしてこれから〉

 今のアニメーションは多く「私って何? なぜここにいるの?」という心理をモチーフにしています。けれど、疑問を呈するばかりで、その気持ちに応えようとするのはとても少ない。『アリーテ姫』も「私って何だろう」を出発点としながら、観た人に前向きな声をかけようと思いましたし、今後もそういう作品を作っていこうと思います。
 考えてしまうのは、世の中に夢見るだけの大人が増えていること。もっと、自分が立つ足元を見つめ、出口を見つけて行こうと志す作品を今後も目指したいと思います。『アリーテ姫』はそういう意味での第一作なのです。




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