i-mode  検索  


(2005年12月16日(金) 〜 2004年08月21日(土))

  食に絶望す 2005年12月16日(金) 

仕事場でやった健康診断の結果はそんなにめちゃくちゃなものではなかったのだけれど、なんじゃこりゃ〜〜的数値が血液の方にひとつあって(これじゃ基準値上限のほとんど倍だよ)、ずっと味方と信じて疑わなかった甘いものと油ものが、今や不倶戴天の敵に回ってしまったとは。
「カントク、これ食べない〜?」
と優しい声で差し出された打ち合わせのテーブルのカスタードパイが、地平線の彼方へと遠ざかってゆく。
これから7キロ落としにかかります。



  鮭としては時々川上に戻る 2005年12月03日(土) 

母校の教室で(といっても、僕らの頃には別のキャンパスだった)、かわいらしい女性大学生から、「あの流れ星みたいなCGの使い方って云々」という質問をいただく。
いえ、あれは完全にアナログ的作業なんです。
光ってるみたいに塗り分けて描いてだけ。
『大砲の街』のときに、作監の小原さんに「あんまりリアルな蒸気を描いちゃって、CGと間違えられちゃうのも癪ですよね」などといっていたつけが回ってきた感じ。



  ノルシュテイン大賞、授賞式終了 2005年11月27日(日) 

受賞式後のパーティで、2年連続受賞の中田さんから、
「去年、『来年は人間を肯定する作品を作ってみた方がいい』といわれたのが、今年の受賞作の一部になっているのかもしれません」
といわれ、この口が喋ったことがかすかにでも心に留められていたということが嬉しくて、審査員だなんてガラにもないことをやっていて良かったと、心に染みてしまった。
なんだか、ちょっとは世の中の役に立った感。
別の受賞者の方からは、『アリーテ姫』への励ましの言葉までいただいてしまった。



  経年変化 2005年11月23日(水) 

大昔には両眼視力2・0あった視野は、今では見る影もなくかすんでいる。特に右目は乱視にでもなったのか茶の間のテレビのテロップ文字もろくに見えない。
おまけにここ数年はどういうことか遠視が進んでいる。
いや、進んでいた。
ふと気づくと、右目の近点がいぜんよりもずっと近くなっている。
乱視じゃなくて近視になっていたのである。
道理で最近は本を読むにも、一時期買い込んだ某眼鏡の必要性が感じられないわけだ。

平面に描かれた絵は片目で眺めると立体的に見える、ということは仕事を始めてすぐに先輩から教わった。
立体としてカタチが狂って見えるなら、パースが狂っているということ。画面のレイアウトをとるときには、左目を瞑る習慣がついて久しく、そういうことで右目ばかり酷使してきたツケがこんな風に出た。
もはや眼鏡不要。



  久々の書き込み 2005年10月02日(日) 

飯田橋の日仏学院まで『第2回日仏アニメーションの出会い』に出かける。
『雪深い山国』を作ったことで敬愛するベルナール・パラシオス監督のほかの作品が観たくって。
ああいうものをそうそう何本も作れるものだろうか、と思っていたのだけれど、『黄金(きん)の森の美女』も素晴らしく、この方はやはり本物でした。



  懸案突破 2004年11月28日(日) 

さまざまな懸案を打ち砕く作戦実行。

まず、三階の鏡台を娘部屋に移動する。
なぜかその部屋に置いてあってほとんど使っていない、実際使いづらくてしょうがない自分の仕事机を、息子どもに手伝わせて三階に担ぎ上げる。机は押入れの半面を隠して開けられなくしてしまうから、押入れの中身をあまり出し入れする必要のないものと入れ替える。そう。『アリーテ姫』の原画、背景その他の段ボール群である。
押入れの本箱を引っ張り出して納戸に移動し、入れ替えにアリーテ箱群を押入れに持ってゆけばよいのだが、キャスター付本箱が荷重に耐え切れず破損する。当て木を打ったり修理の上、これは納戸に。しかし、この本箱の中身は保存の必要ないなあ。将来的な整理対象として検討。
ということで押入れの中身の半分はなんとか。もう半分は、自分が始めて一人暮らしをはじめたときに買った14inchTVであったり、パソコン始めたときに友人たちからおすそ分けいただいた旧式パソコンやモニターだったりする。これは後日処分ということにさせていただいて、とりあえず玄関に移動。空いたスペースに、行き場を失ってそのまま置きっぱになっていた扇風機二台その他を突っ込む。
三階で仕事に使っていたちゃぶ台みたいな小テーブルも娘部屋に移動。これで仕事すると胡坐をかいたままポーズ変えしないことになるので、膝が死ぬのだ。といいつつ、最近は仕事にも使わなくなってその上がガラクタの小山になっていた。付属して座布団も娘部屋へ。
昨日購入の小型本棚三本に併せ、カラーボックス一個を買い足し、さらに机そのものを書類の束やら雑多なものの収納スペースとする。むやみとあるチビた鉛筆や紙挟みクリップを、とりあえず引き出しに突っ込む。なんとかようやく布団の周囲に畳の露出が復活した。あとは掃除機。と、この掃除機も何年ものなのだろう。中身が壊れていて内袋が固定できない。これも本格的な大掃除の前に買い替えが必要なもののリストに算入。

ともあれ、これで、
「お、部屋みたいになった」
今まではどんな場所だったのだろう。

すると、なぜか娘たちがそれぞれ保育園時代に作った、クレヨン描きのクリスマスカードや、貼り絵のサンタさんが机の中から出て来た。壁に貼ってもうすぐやって来るクリスマスを待つことにする。



  クマノスケ君の日々 2004年11月20日(土) 

我が家にまだ子どもがさずかる前からいたぬいぐるみの熊。
生まれた男の子たちはその鼻をしゃぶり、口のところに穴をこさえた。それからずっと押入れの奥で眠っていた熊。
今、大きくなった娘がその口を裁縫で修理し、末っ子の小さくなった洋服を着せている。居場所をふたたび居間のソファの上に取り戻している。



  フランク・トーマス氏、死去 2004年09月10日(金) 

新聞で訃報を知った。
この方に直接言葉を交わす機会は得られなかったのだが、浅からぬ因縁を感じてしまう。
それよりもさらに以前、トーマス、ジョンストンのコンビが来日して講演が行われたとき、客として見に行ったことがある。客として見に行ったはずだったのに、エレベーターを降りたところでいきなりTシャツ一枚渡されスタッフに狩り出されてしまった。急造映写技師になっておさまった映写室の小窓からステージや客席を見下ろしていると、講演を終えて会場を去ろうとする両氏に向かって、東京ムービー藤岡社長が早足に近づいてゆくのが見えた。
そのときには、まさかそれが自分の人生の転換点だとは思ってもいなかったのだが。



  たとえば平家物語のごとく 2004年09月08日(水) 

仕事でロシア人と知り合う。
『クラスノソンツェ』を聞かせたら、
「なんだこれ? ウクライナ語か?」
という感じ。
あの歌詞をオリガはロシア古語で作詞したといっていたが、
よほど格調高い古語だったのかもしれない。



  こんな夢を見た 2004年08月21日(土) 

家には長い廊下がある。
なんだ、ここの壁面に本棚をしつらえれば本が全部納まるじゃないか。

目が覚めると、長い廊下なんかどこにもない。







 
Cool Note Pro v4.6