i-mode  検索  


(2003年08月22日(金) 〜 2003年04月02日(水))

  遥かな尾瀬、遠い空 2003年08月22日(金) 

ずいぶん久しぶりに『火垂るの墓』を見た。少なくとも近藤喜文さんが亡くなってからははじめてのように思う。
若い頃、近藤さんのシャツを貰って着ていた。近藤さんは上背が180センチ以上あるし、こちらは160の前半なのだけれど、どうもサイズを間違って買ってしまったとのことで、近藤さんの奥さんの山浦さんからいただいたのだった。近藤さんと机を並べて仕事していた頃のことだったかもしれない。その仕事はものにならなかった。
『火垂るの墓』自体が大いなる悔恨の物語なのだが、近藤さんのことを思い出すと、悔いに近い気持ちが忍び寄ってきてしまう。
『魔女の宅急便』で、とぼとぼ歩くキキの横を通り過ぎるトラックに大きく「OZE」と書いてあるのは、あれは近藤さんが尾瀬に行きたかったからなのだ。息子さんが小学生である最後の年だったので、仕事はのんびり構えてふたりで遊びたいんだよ、尾瀬にも連れてってやりたいんだよ、とおっしゃるのを、無理やり仕事に巻き込んでしまっていた。作監チェックに回って来たトラックのカットの原画を前に、突然「オレはOZEってここに描くからね」と宣言して、ほんとうに描きこんでしまわれた。

なんだか、まだどこかで長身の背中を丸めて机に向っておられるような気がしてならない。いなくなってしまったという実感がいまだに湧かない。



  嘘をついてはいけない 2003年08月05日(火) 

本が棚から落っこちてきたのは机でなくて実は「お膳」である。
絵コンテとか原画チェックは、ちゃぶ台みたいな上で仕事している。
一日終わって立ち上がろうとすると体がガクガクする。
脚本の仕事が楽なのは、今はワープロとかパソコンを使うので、
寝転んだままでも出来ることだ。
ますます体が退化してゆく。



  あれから2ヶ月・・・・ 2003年07月25日(金) 

棚が落ちたっきりコラムの方が更新されていないけどどうなったのか、というありがたいご催促をいただいてしまった。
もちろん今では棚は鴨居の上に架かっている。
今日はその上の本が落ちた。
いきなり机の上に万葉集が出現したので驚いてしまった。



  棚、落下する 2003年05月22日(木) 

 またこのところ収まりきらなくなって畳の床を占領している本を上にあげるため、棚を吊ろうと思う。すでに六畳間の鴨居の三面はそうやって架した棚に占領されている。
 六畳間の縦方向に縦通させるわけだから、3.6メートル何がしかの長さの板が必要なのだが、DIY屋さんにはそんなに長いのはないので、2メートルくらいの板を買って来て、接着して延長する手段に出る。
 という方法で以前はうまくいったのだが、今回は失敗した。接着面積の設計を完全に間違った。接合部の強度が、見るからに非常に弱いものが出来上がってしまった。
 案の定、鴨居に載せた「棚」は、中央から二つに折れつつ墜落して最期を遂げた。
 その惨状に、排気ガスの漏れによる熱で主桁を溶かして、翼を真っ二つに折って墜落した九九式飛行艇広廠1号機のことなど思い出してしまう。東京湾に落ちた九九式は、追浜に残骸を可能な限り引き上げて事故調査を行ったが、しかし、この2メートル弱かける二本の「棚」の残骸は、どうしたものだろうか。設計が変なので、「板」として別用途にも使えない。なんというものを自分は作り出してしまったのだろうか。
 



  悶絶の日々の中で 2003年05月16日(金) 

 親知らずを腫らしてしまったので、歯医者に通っている。
 歯医者にいっていない間は、痛くて痛くて、ほとんど寝転んだり、臥せったりして過ごしている。それが、もう数日もつづいている。
 年甲斐もないが、水平置歯なのである。しかも、横の歯の根元に突っかけていくのならともかく、まともに顎の骨を突き抜いて口に横から生え出ようとでもいうような方向に向いて埋もれている歯なのである。
 だいいち、当初、親知らずを五本持っていた。全部で三三本の永久歯があったわけである。成人以来これまでに何軒か診てもらった歯医者さんの一軒では、「もともとお猿さんから人間に進化する過程で、如何に歯の本数が減ってきたか」というお話まで滔々と聞かされてしまった。
 その親知らずも、過剰歯も含めて三本まで抜いたので、残り二本なのだが、一本はまともにきちんと生えており、最後の最悪の一本が今回腫れた。
「これを抜く気なのなら、口腔外科の先生に診てもらわなくちゃもう駄目」といわれていたし、今回はなんだかいつもに増して格別に痛いので、そのような治療をやってくれそうな歯医者さんを探した。
 で、今日は、「覚悟が決まったら」と予告されていた抜歯の日。
 何しろ、出てこないときは顎の骨を削る、とまでいわれており、こちらもそれなりの覚悟を決めて臨んだのだが、開始後しばらくして妙なことになった。すでにメスで切開し、当の親知らずの頭が露出しているというのに、麻酔が「驚くほど(先生談)効いていない」のである。肝心の抜く歯が痛くてたまらない。今まで埋もれていた歯が、はじめて何かを触っている、という感激もあらばこそ、とにかく痛い。
 自分なりに思うに、どうも一昨日来の痛さのあまり鎮痛剤を呑みすぎてしまっていたせいなのかもしれない。
 ということで、本日は一時間かけたがこれで中止、再縫合、続きはまたいつか、ということになってしまった。
 ともあれ、一度切開して内圧が下がったので、痛みが引いて本当に驚くほど楽になっている。今、口の中を縫った糸が入ったままなのだが、もうこのままでもいいや、と思うくらい。



  河岸を変える 2003年04月18日(金) 

本日新規企画案提案
向かいに座ってる人も同時に同じ本を取り出したのは、偶然というか、皆の気持ちは実はひとつだったというか。



  喧騒の彼方から 2003年04月11日(金) 

 飛騨高山の映像祭のプロデューサー筒井さんとお目にかかる。場所は、荻窪の焼き鳥屋。
 話し込むうちふと耳を澄ますと聞こえてくるのは「金色の翼」の曲。
 聞き慣れた大貫妙子さんの歌声は、となりのテーブルで何事か大声で語り合う七十代男性グループの頭上、店のスピーカーから透明な空気のように流れ出している。有線放送で流されているのだろうか。またしばらくすると、こんどは「クラスノ・ソンツェ」が。
 つかの間、えもいわれず懐かしい気分にひたる。
 主題歌たちは、いつのまにか、そこはかとなく世に浸透していっている。



  8時間眠ることを爆睡という 2003年04月 9日(水) 

 ここ一月ぐらい手がけていたCMの仕事、完全に終わる。
 MAが出来上がって、クライアント、代理店、広告会社の各方面に安堵していただけたようなのがわかると、急にこちらの体が緩む。
 制作の国寿君、CGの坂本君ともども、まだ時刻は夕方の序の口なのだけど、それぞれの自宅へ直帰してそれぞれの安眠をむさぼることに。
 オンエアは4月21日からだそうな。



  戦時下のくまのプーさん 2003年04月03日(木) 

 ある有名な作品の企画をされた方に、なぜその原作を選ばれたのか、と問うてみたら、
「ああ、戦後すぐかな。岩波文庫で読んで、心が広がる思いをしてね」
 と、まったく商売っけ抜きのお答えだったので、とても嬉しかった。良心作といわれるものは、企画の原点からしてそういうものなのだ。
 ふと思い立って、岩波書店での海外児童文学紹介の歴史をのぞいてみようとして、たまたまそれをリストアップされている方のサイトに行き着いたので、参考にさせていただく。
 昭和のはじまり以来、ギリシア・ローマ神話を最初に、「小公子」「クオレ」「グリム童話」「クリスマス・カロル」「青い鳥」と発刊がつづき、以下「イワンの馬鹿」「あしながおぢさん」「ピータァ・パン」「ハイヂ」「王子と乞食」「宝島」と並んでゆく。その並びは、自分たちが子どもの頃の名作児童文学のラインナップとまったく変わらず、子どもの世界には昔も今もないのだな、という思いにかられてくる。
 さらに岩波は「アンデルセン童話集」「シャーロック・ホームズ」のシリーズ、「家なき児」「熊のプーさん」「ガリヴァの航海」「ハックルべリイ フインの冒険」「家なき娘」などを戦前の子どもたちに紹介しつつ、昭和16年12月の「開戦」を迎える。
 太平洋戦争に突入直後から、「敵性」欧米児童文学の刊行は一切途絶える。それはおろか、日本の作家の児童文学書のすら出なくなって、かわりに「小国民のために」と題した理科知識の本ばかりで埋まってゆくことになる。マリアナ失陥後、つまり日本本土が空爆に曝されるのが隔日となった19年夏以降は、それも完全になくなり、子どもたちへの「ものがたり」の世界は、まったくの闇に閉ざされる。
 そんな対米英の戦争もたけなわな昭和17年6月27日を発行日として、イギリス人A・A・ミルンの著である「プー横丁にたった家」がただ一冊ポツンと出版されている。
 黄昏にひらいた一輪だけの月見草。
 この出版にはどういう事情があったのかわからないし、果たして当時の書店でそれがどのように取り扱われ、親たちが子どもにどのように買い与えたものなのかもわからない。ただただ、とても印象的な「事件」だったとしか思えない。
 これから先、「プーさん」を見る自分の目が変わってゆきそうな気がする。ふと手にとって、戦争の空の下、家の奥でこっそりと秘密の宝箱を開くようにひもといた子どもの心境になって、当時と変わらないはずの石井桃子さんの訳文に接してみようかな、と思ってしまう。



  またもや、秒数の計算 2003年04月02日(水) 

 テレビシリーズ1本1200秒のカット数は、190〜270。最大390カット。というのが、自分に染み付いたペース。1カットの平均秒数は、3秒から6秒まで差があり、それなりに作り方が違う。『アリーテ姫』はエンディングを除いて計算すれば1カット平均6.5秒。
 たしか去年の今ごろもやっていたのだが、今、ちょっとCMの仕事を手掛けている。どんどんコンテを描いていって、15秒スポットに13カット+ロゴ2枚、その他商品のカットふたつを放り込む。1カットが1秒以下の世界である。
 しかし、人間なんとでもなるというものだ。条件さえ最初にちゃんと定まっているのなら、何であれ出来ないことはない。与えられた枠にはまるようにする帳尻合わせの計算が、演出家の仕事の中では意外に大きな部分を占めていたりするものなので。枠がきちんとしていないと、かえって逆上してしまったりもする。「出来てみたら、いつのまにか105分あった」という『アリーテ』は、ある意味逆上の結果なのかもしれない。その辺、プロデューサーもよくわかってきていて、次にやるとしたら、何か尺の枷のある仕事にしたいと目論まれていたりもする。
 ところで、どうも、テレビの放映基準では、CM冒頭に無音の部分10フレーム取らなければならない、と定められているらしい。韓国や台湾のCMにはない、日本ならではの決まりごとなのだそうだ。これが近々改訂になるそうで、冒頭の無音を15フレームにしなければならない。
 そんなこと全然考えずに編集してしまった今回のCMなのだけれど、ここを2フレ、あそこを4フレ、と小刻みに切落して編集した結果であるこの今の15秒から半秒分さらにカットしなければならない。と、今日初めて聞かされた。
 なんてことだ、と、焦る気持ちはあまりない。まあ、なんとでもなるさ、と、誰よりも鷹揚に構えてみせてしまうのである。
 実際、たぶん何とかなるだろう。ここまで出来上がってるのだもの。
 明日はそれをやる。







 
Cool Note Pro v4.6