ずいぶん久しぶりに『火垂るの墓』を見た。少なくとも近藤喜文さんが亡くなってからははじめてのように思う。 若い頃、近藤さんのシャツを貰って着ていた。近藤さんは上背が180センチ以上あるし、こちらは160の前半なのだけれど、どうもサイズを間違って買ってしまったとのことで、近藤さんの奥さんの山浦さんからいただいたのだった。近藤さんと机を並べて仕事していた頃のことだったかもしれない。その仕事はものにならなかった。 『火垂るの墓』自体が大いなる悔恨の物語なのだが、近藤さんのことを思い出すと、悔いに近い気持ちが忍び寄ってきてしまう。 『魔女の宅急便』で、とぼとぼ歩くキキの横を通り過ぎるトラックに大きく「OZE」と書いてあるのは、あれは近藤さんが尾瀬に行きたかったからなのだ。息子さんが小学生である最後の年だったので、仕事はのんびり構えてふたりで遊びたいんだよ、尾瀬にも連れてってやりたいんだよ、とおっしゃるのを、無理やり仕事に巻き込んでしまっていた。作監チェックに回って来たトラックのカットの原画を前に、突然「オレはOZEってここに描くからね」と宣言して、ほんとうに描きこんでしまわれた。
なんだか、まだどこかで長身の背中を丸めて机に向っておられるような気がしてならない。いなくなってしまったという実感がいまだに湧かない。 |