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(2003年10月25日(土) 〜 2003年08月30日(土))

  ポートレートとオシッコの香り 2003年10月25日(土) 

急にちょっとした事情で自分自身の写真が必要になった。
ほとんどそれらしいものが手元にないのであわてて引っ掻き回してたら、6年分くらいアルバムに未整理なままの我が家の家族写真の山にぶちあたってしまった。年末あたりを目処にこいつらの片づけを考えなくてはならない。
保育園で撮ってもらった子どもの写真が何枚かへばりついてはがれなくなってしまっている。台所でお湯を沸かし、湯気にかざしてはがすことを考える。しばらく経つと写真は少しずつ分離しはじめたが、とたんにぷううんとオシッコのにおいが漂ってきた。どうも、猫のオシッコのような気がする。写真の山の中には、このしつけの悪い猫が貰われてきたばかりの頃、かわいい子猫時代の姿もあって、この頃に戻ってしつけをやり直したい気分にかられる。

この下のは、そんな中から発掘した懐かしい『アリーテ姫』制作準備室の写真。六畳一間のアパートの一室なのである。



  はるかなる山の思い出 2003年9月27日(土) 

「金時山」には思い出を感じていた。
 小学校の林間学校で登った山、生まれてはじめて踏んだちゃんとした山頂だったので。標高1000メートルよりも高いところに立った、と興奮した記憶がある。

 それから30年以上を経て、子どもたちを連れて再び登ってみた。
 何も思い出せない。ほんとうにこの道をたどり、この風景を眺めたのだろうか。なんとなく思い出せるのは、山道のところどころに鎖の手すりがつけられていたことだけで、まったく見知らぬ風景の中を歩いていることに気づかされる。
 いったい自分はあの林間学校の何を覚えていたというのだろう。
 出発のしばらく前の日の教室で「箱根の山は天下の険」の歌を習ったこと、泊りがけの荷物が詰められるでかいリュックを買ってもらったこと、水筒も買ってもらったんだっけ? 暑い山道では水気をがぶ飲みするより氷砂糖をなめろと先生にいわれ、旅のしおりの持ち物欄にも「氷砂糖」と刷り込まれていて、母親と買いものに行ったこと。キャンプファイアーのとき群舞する蛍を見たこと。山頂の茶店で登山記念のバッチを買ったこと。
 それだけ覚えていれば十分なような気がするが、肝心のそのときいっしょにいたはずの友人たちのことが何も思い出せないのだ。ひどいことに、それが何年生のときのことだったのかも自信がなくなってきた。

 今、自分の脇をいく子どもたちには何かを覚えていてほしくなって、あの岩は金太郎が割った岩だ、とか、熊の足跡あった? とか、あの水溜りの泥についてたのは金太郎の足跡かもしれないね、とかさかんに話しながら登る。



  幸せの眠気 2003年09月26日(金) 

眠い・・・・・・。

手伝いで引き受けたテレビの絵コンテ一本が今日には終わる。
ほかの仕事と掛け持ちしながらのんびりだらだらとやって来たものだが、それでもやっぱり一仕事終わりが近くなると体が緩ん来て、朝方もよく眠れるようになってくる。
あとちょっと。
出来上がったものの回収の手立ても電話で打ち合わせたし。
あと、もうちょっとで終わるから、そしたらおやつでも買いに行って、それから文庫本を片手に昼寝しよう。



  今週の運動不足解消策 2003年09月23日(火) 

歩くか泳ぐかしか、もう思い浮かばない。
今回は酸素もたっぷりな日和田山(海抜305米)にゆく。
岩場もあって、よじ登るのにそこそこ上半身も使うから、富士山よりもよい。
山の足元には一面に咲き誇る曼珠沙華の群落があって、幽玄の雰囲気に浸れるはずなのだけれど、なんとも駅のホームからこぼれそうなまでの人の出で、屋台なども出まくって、とても妖しさどころではない人の行列、また行列に。



  高高度で失速す 2003年09月15日(月) 

「急に御岳が見たくなった」
といって車を飛ばすCMが昔あったのだが、そういうフットワークには憧れていた。

家の窓からは富士山が見える。
たいていは雲がかかってるが、この季節でもときどき顔を見せている。眺めていて急に富士山に登りたくなったので、車を飛ばしてみる。
朝方なら雲が晴れてることが多そう、と踏んで午前4時前に起きだす。
スバルラインから赤富士を拝み、きれいに晴れた5合目から先を少し歩いてみる。
結果として、高度2300米は寝不足の頭には酸素が薄すぎる、ということがわかる。
次回には酸素瓶を持参しよう。やっぱり何がしかの用意が必要なのだ。



  はるかな日、すぐ近い日 2003年09月13日(土) 

夕べ、突然高校時分の友人から電話を貰う。
話題は同窓会報がどうとかいうものだったのだけど、思えば奴とその前に言葉を交わしたのはいったい何年前なのだろう。ずいぶんと久しぶりに聞く声のはずなのだが、まったくそんな感じがしてこないのだ。
あの頃の記憶は、どうも自分の体の構成成分に感じになってしまっているらしい。いつでも訪れればそっくりそのままそこにある、と体は記憶している。まるで、今暮らしているところからどこかすぐとなり合わせた場所に、「あの頃」がいつまでもあるという感覚をずっと抱きつづけている。自分たちが根城にしていた視聴覚準備室も、とっくになくなってしまったこともちゃんと知ってはいるのだが、「その場所」には今でもちゃんと存在している。細部に至るまで何ひとつ欠けるものないままに。
電話で声を聞かせてくれる彼のことも、学生服を着た10代の顔のまま、水泳部員だった奴のことだからプールのあたりから声をとばしてきてるように、ついつい思ってしまう。
そう。やはり、自分の体の半分はあの頃の記憶で出来てるのだ。

今日は、運動不足解消のために市営プールへ行く。
なんだか恰幅が良くなってしまった自分がガラスに映っている。
たしかに残り半分、いろんなお肉がついている。



  脱宇宙ステーション 2003年09月06日(土) 

たぶん、宇宙飛行士のような状態になってるのだと思う。
もう4、5ヶ月も家で仕事をしてるのだけれど、吉祥寺とは違って歩きまわっても行くところがないので、散歩の習慣もなくなり、すっかり足が弱ってしまっている。おまけに汗っかきなので梅雨時の蒸し暑さが大の苦手なのだが、ことしは夏中そんな気候だったので、うっかり出歩くとずぶ濡れになってしまうこともあっていっそう出不精になってしまった。
今日は晴れてるわりに秋風らしきものが吹いて汗をかかない。
立川基地跡地の昭和記念公園に行く。とにかく延々歩くしかないようなところなのでちょうどよい。
コスモス畑はほんの小さな芽のような苗しか生えておらず拍子抜けしたが、赤トンボとは出会った。
それにしてもひざの感じがよくない。



  生殺与奪は天にあり 2003年09月02日(火) 

鳴きそびれまいと蝉が渾身の声をあげている。
そでに、秋の虫の声が混じり始めている。
七年土中に待って、たまたま地上に現れたその年がこんな夏だった蝉は不幸だ。
そんな弱った蝉を、猫はたちどころに捕らえてバリバリと食う。

「その種がいくら環境に適応してたかて、運が悪かったらそれまでやないか。人に踏まれたら終わりやないか」
と、ダーウィンに逆らっていた、今は亡き進化学者の言葉が頭を過ぎる。



  夏の終わりの日に 2003年08月31日(日) 

なんとなく夏休み最後の日だと思うと、スイカを買ってしまう。
家でせっかく実った桃の実も、トマトも雨で痛んで食べられなかった今年の夏。

渋谷の都立児童館は地階でお化け屋敷を催している。
こわがりの娘を、入ろうか、とさそったら、逃げられてしまった。
渋谷を少しぶらついて、『アリーテ姫』が一般客の前で上映された最初の場所、渋谷パンテオンが閉鎖され寂れ果てている前を通る。あの大きな映画館が、『アリーテ姫』などよりも早く消え失せてしまうだろうとは、かつては思いもしなかった。
同じ建物の最上階のプラネタリウムの方は閉じられてからすでに数年が経つ。『アリーテ』の頃には、まだここで隕石片を買えた。
人工の星ですら眺められなかった今年の夏。
とうとうお化けも見そびれた。



  夏の終わりの一日前 2003年08月30日(土) 

娘が通っている学童保育の行事で「お化け屋敷」が開かれる。
父母には仕事が割り振られているのだが、土曜日とて本職の仕事が終わらないこちらなので、でかい上の息子たちを代役で差し向けて勘弁してもらう。

帰った娘に、
「どうだった?」
と聞くと、
「みんな泣いてたよ。こわくてさ」
という。
「入る前に笑ってた3年生も、出てきたとき泣いてたよ」
なんとなく、行かなかったのが惜しかったような気がする。
別にお化け屋敷の恐怖を味わいたいのではなくて、めそめそしてる子どもたちのリアクションが眺めたかった。ちょっとばかり意地悪にも。
「で、お前は泣かなかったの?」
「うん。泣かなかったけど、足が震えたよ」







 
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