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(2001年10月29日(月) 〜 2001年10月18日(木))

  小スタジオでの作業終了 2001年10月29日(月) 

2000年9月25日(月)。
 朝、エンディングの打ち合わせで4℃入り。
 それから日本橋浜町のテレセンへ向かう。ダビング現場では10時から仕事している。
 少し遅れての到着となったが、早瀬君がやはりこなさなければならない所用が午後にあるというので交替する。今日は自分の仕事上の用件で留守にするスタッフが多い。だが効果音の原田さんとテレセンの技術の門倉さんたちには休む暇もない。原田さんは西村君が作って来たSE生音を画面と見比べて入れるしかるべき位置を把握すると、「じゃあ、いくよ」という。門倉さんがそれをハードディスクに収めてゆく。足音だとか画面の歩数に対して足りないところがあったりすると、音をコピーして作る。タイミングを合わせてはめる。ハードディスクに収める。地道な仕事がつづく。 

9月26日(火)。
 やはり午前10時半スタート。今日もSE。
 小さい304スタでの作業は今日で終わり。映画館のように巨大な407スタでの作業が本番なのである。407スタは別の仕事で塞がっていて、それが難航しているという話が洩れ伝わって来ていたが、それも無事に終わったらしい。その報せに、こちらも喜ぶ。(引っ越し可能となる。夜半、さまざまな機材を、音の入ったハードディスクを、飲み物のクーラーボックスやコーヒーメーカーを、それから親切な会田さんがいつのまにか山のように買って来ていた週刊誌を、それら仕事と生活の一切合切をかついで、407スタへ向かう。
 帰りは4℃の制作担当吉田君が送ってくれる。吉田君の運転はたいへんお茶目だ。日本橋浜町から真西にある吉祥寺へ向かうはずなのに、まず南にあるレインボー・ブリッジを見物させてくれる。それから、はるかに北へ脚をのばし、今度は真夜中の池袋を見せてもらう。夜中に東京の名所を巡るツアーが出来るとは素晴らしい。こちらにはそれを楽しむ余裕がある。効果音の仕込みはまだまだ終わっておらず、これからはプリミックスの残りを行いつつ、本番を消化していくといういっそう辛い作業になるだろう。それはそれとして、明日からはファイナルミックスが始まるのだ。
 そのまま車で自宅まで送ってもらえるわけではない。4℃へ着くと、エンディングのカットのチェックが待っている。チェックしたものをさらに処理する吉田君の今夜の仕事はまだまだつづく。会社に停めておいた原付きにまたがり、ようやく自宅を目指す。風邪を引く。



  もう5日目のスタジオ暮し 2001年10月28日(日) 

 9月24日(日)。
 13時スタートは変わらず。仕事の始まる時間は同じで帰る時間が遅くなっているから、睡眠が足りていない。だのに早瀬君は帰宅しても寝付かれなかった様子。このチームの長老である超ベテランの効果マン原田さんからして、午前6時に帰宅して眠って起きたら午前8時だったという。起き出してオリンピックのマラソンを見ておられた由。ミキサーの大石君も風邪を引いている。スタッフの体力がピンチである。リポDとC1000タケダを買って来て差し入れる。
 今日の夕食時は、プロジェクターをテレビ放送に切り替えた途端巨人軍の劇的サヨナラ優勝の場面である。合田さんは、今日はコーヒーメーカーまで買って来る。この仕事のためにわざわざ新品を買って来られたのである。
 今日は子どもの運動会だが、むろん行けない。どころか、当の『アリーテ姫』のエンディングの色彩の色決めにも行けない
 さすがにバテバテなので、22時に終わってみんな早く寝ましょうということにする。

 この日の仕事は「SE生音張り付け」。つまり、画面に合わせて西村君が細かくひとつひとつ作って来た効果音をちりばめるのである。昨日までのベース音は、シーンを通じて流しっぱなしに出来るから楽だが、生音はひとつひとつの動作に伴う音だったりするので、タイミングが厳密である。効果音を作った西村君はほかの仕事で忙しいらしく、その師匠というか、西村君の会社の社長である原田さんがダビングを担当して下さっている。また1ロールから始めて4ロールまで終える。すでに同じ画面を何度も見ている。



  第4日 2001年10月27日(土) 

9月23日(土)。
 だからといって、午前中も休めない。4℃に顔を出し、エンディングの原画をチェックする。ついでにタクシー代とかの必要経費の請求書を出す。
 コンビニで食料を調達しつつ、テレセンへ向かう。13時スタート。SEベース音の続き。少し要求と差が出来てしまっている動き出した。会田さんから、これから夕食の弁当を買って向かうが何がいいか、と電話がある。一同の疲労深く、油ものがつらくなって来る。勢い「昨日の寿司、食べやすかったですねえ」となる。単に食べやすいからという理由で、贅沢にも寿司折りを頼んでしまうのである。このあたりの神経も麻痺してしまっている。
 夕飯時、スタジオの人がビデオモニターをテレビにつなぎかえてくれる。(この辺はまだビデオの画面を相手に作業している)パッと切り替わった大画面に、いきなりサッカー日本チーム敗退の瞬間が映る。オリンピックをやっていたのである。
 午前5時終了。動き出した早朝の電車で帰る。



  ダビング第2日、第3日 2001年10月26日(金) 

 プリミックス二日目は、台詞のつづき。午前10時にはじめて、午前3時に終わる。
 こういうペースになると、スタジオが生活の場となって来る。録音制作の会田さんは、今日はクーラーボックスをかついで来て下さる。氷が入ってて飲み物が冷えている。そのほか菓子類の差し入れももって来て下さる。毎食の弁当ですら会田さんが用意して下さる。
 二日目はタクシーで帰宅。三日目のスタートはやはり午前10時からなのだ。ここでずるずる開始時間を遅らせると、取り返しがつかないことになってしまうからだ。

 三日目の作業はSE(効果音)のベース音。空気の音、場の雰囲気の音。よほど耳を澄まさなければ聞こえないが、有ると無いとでは雰囲気がまるで違う。これをまた1ロール目から始めて6ロールまで終わらす。ここで午前4時。話好きな運転手の方のタクシーにあたってしまい、娘さんのこととか聞かされて眠らせてもらえない。
 四日目はさすがに午前中開始は無理と判断、13時スタートと決める。



  久々に会う 2001年10月25日(木) 

 今作っている短編(実はそんな仕事もやっている)の件で、録音監督早瀬氏と打合せをもつ。そのあと昼飯を食いながら野球好きの早瀬君と日本シリーズの話題などするうち、『アリーテ』のダビングの最中「巨人軍劇的優勝」の瞬間を見たことを思い出す。東京テレビセンターのスタジオの大きな投影スクリーンにテレビ放送をつないで、そんなものを見ていたのだった。

 ダビングは、それまでの作業で用意されたそれぞれの音素材を確認し、その入る位置を決めてゆくプリミックスからはじまる。
 2000年9月20日水曜日、午前11時にテレセン入り、304スタジオで仕事を始める。
 まずは、BGMの入る位置を決めて張り付けてゆく。音楽の位置は千住さんと相談して綿密に決め込んだあったのだが、音楽の録音と映画そのものの録音ではスタッフが別なのである。ということで、両方を兼ねている唯一の人である監督がそここでのスタッフにそれを伝える。なるほどなるほど、ここでこんなふうにかかる曲だったのか、となる。ここはああいうふうに処理して、ここはこうやれば、とみんなの頭が動き出す。
 次いで、エコーをかける必要のある台詞に、それぞれの状況に合わせたエコーを付けてゆく。地下牢とか城内とかやたら多いので、エコーも多い。いろんなパターンを繰り出す。全編は8巻に分けられている。前半の4ロールまでエコー付けしてこの日は終了。
 23時半である。終電に間に合う。まだ序の口なのである。

 なかなか「巨人軍優勝」まで話が進まないのだが、明日につづく。



  画と音のシンクロ 2001年10月24日(水) 

 ダビングとは作業の最終段階。台詞の声、効果音、音楽はそれぞれ別々に録音されている。それを、すべてつつがなく完成した映像に合わせてミキシングするのである。映像が「完成している」というのがミソである。この段階で音の入るタイミングが決まってしまうので、映像の尺や、その中で行われている出来事のタイミングが出ていなくてはならないのである。
 というのは建前で、実際にはだ映像は完成していなかった。いくつかの作画リテークが終わっていなかったのである。エンディングに至っては影も形も無かった。
 これより前の作業では、ビデオに落とした映像に乗せて音作りをして来た。最近はデジタルなので、タイムコードの入ったビデオだと連動が楽なのである。ただ、わずかな誤差の可能性がある。フィルムからビデオに落とすときに生じる機械の回転スピードの誤差である。
 だからダビングの時は、ベースにする映像に35ミリのフィルムそのものを使う。
 そこまで厳密に映像と音声のタイミング合わせをする。欠けている絵については、すべてタイミングを「覚えていって」現場に臨む。これ以降、例えばどう気に食わなかろうと歩きのタイミングひとつ変えるわけには行かない。ダビングで決定してしまった音のタイミングは絶対なのである。
 で、ありながらもっと後に「歩き」のカットで丸々の作画直しを出してしまうことになろうとは。



  今日も少し思い出す 2001年10月23日(火) 

 そうだ。ダビングの頃もこんな陽気だった。
 まだ暑さを感じる中でスタジオに籠り、しかも予定より1日早くお泊り態勢に移行してしまったため皆着替えも持って折らず、ふと表へ出ては深まる秋の空気の冷たさを感じ、これはいかんと一同で着るものを買出しに出たのだった。
 それまでは、日々の食い物や飲み物ですら、日替わり当番に来てくれる4℃動画部の諸君の買出しに依存していたため、最も遠く出掛けるのが「トイレ」という有様だったのだ。
 そんな数日ぶりで、ふと表へ出たときのあの空気の冷たさ。ダビングをしているあいだに季節が入れ替わってしまっていた。



  四方山話 2001年10月20日(土) 

 最近「アリーテ姫」に関する四方山話があまりない。
 さすがに思い浮かばなくなって来た。
 本当は、もっとも過酷な死のロードであったダビングのことを書かずに残してあるのだが、日付関係とか少し整理してかかろうと思いつつ、ここまで来てしまった。
 そう、ダビングの泊り込みの最中にテレセンの近所で買ったパンツはまだ愛用している。少しゴムが伸びてしまってはいるが、なかなか履き心地の良いパンツなのである。



  国内的国際的 2001年10月19日(金) 

 来年春に飛騨で催されるアニメーション映画祭の担当者の方が、アニドウのなみきさんとともにみえる。実は初号試写のときにすでにお目にかかってうかがっていたのだが、大分具体的になって来ているようである。お話を聞くうちにどうやら3月には飛騨高山で『アリーテ姫』が係り、原画展が開かれ、その他、監督が囲炉裏端でゴロゴロしている状況がある、というようなことになりそうなイメージが伝わって来た。
 映画祭といえば12月にはパリでも上映される。という話をしていて思い出したのだが、13日から開かれているはずのプサンのアニメーションフェスティバルにもフィルムを出しているので、今頃またソウルではアリーテ体験者が増えているはずなのだ。プサンの映画祭なのになぜかソウルで開かれるのである。



  別にたいしたことは何もない 2001年10月18日(木) 

 ラーメンを食いに行ってなぜか飲み会になる。急な階段の飲み屋だ。踏み外して落ちそうになる。
 めまいがする、などと愚痴てみる。
 昨夜、2時半に起きてこのコラムだか日記だかわからぬ雑文をまとめて書き連ねたので寝不足となっていただけの話。そんな時間に目が覚めてしまったのだって、寒いからと掛け布団を二枚も引っかぶって寝たために、暑苦しくてうなされて目が覚めてしまっただけだったりする。
 子どものころ以来そういう時間こそ空想する力の働かせどころだったりしたのだが、最近は本ひとつ読まないのが良くない。







 
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