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(2001年12月04日(火) 〜 2001年11月21日(水))

  ダメコン 2001年12月04日(火) 

 『モチモチの木』のほかにもう一本4℃で作っている短編の編集をやっている。が、何かアクシデントが生じているようだ。聞き耳を立てる。こういうことに関しては新米の演出家と制作が青ざめて言葉を失ってしまっている。
 演出も制作も、当初は若干の創作力が必要とされるとは言え、その後の作業ではそれがうまく運んでいるうちは特に必要な立場ではないと言ってしまえる。むしろ、本領を発揮しなければならないのは、リスク・マネージメントの部分だ。危機を予見すること。ダメージを食い止めること。血の気を失っていては、そこいらに転がっているかも知れない次善の策でさえ見つけられない。これからこの仕事に着こうとする人は、そうしたことを覚悟しておかなければならない。
 とは言え、こうしたことは年季の問題なので、外出中のプロデューサーが帰って来るまででしゃばってダメージコントロールを肩代わりしてみることにする。事態の収拾はプロデューサーの仕事として、原因を究明することだ。照らし合わせるべきものとものを突き合わせれば答えは自ずと出る。

 それから『モチモチの木』の音素材の編集に出かける。この作品のメインのミキサーは佐藤さん(『ラッシー』『この星の上に』)なのだが、サブに青木君(『まる子』)についてもらえ、今日の作業は大石君(『アリーテ』『AC4』)に担当してもらえる。百花繚乱オールスターキャストである。



  高みに立つ  冷ややかな光 2001年12月03日(月) 

 昨日の日中は、娘ふたりを連れて新宿の高層ビルに登った。
 ここから眺める西の方角には、限りなく無数の家々と街並みが彼方まで続いている。そのひとつひとつの屋根の下に住まう人々のすべてに感情移入するほどの想像力を自分はもたない。むしろ、ちっぽけな個人の共感のあり様など超えて広がる人間の営みに圧倒されるばかりだ。
 ここへ登るたびにそれを感じている。『アリーテ姫』でもその心は描いた。

 今日は『モチモチの木』の佳境、「モチモチの木に灯がともっている」のカットの画面を作る。滝平画伯の筆致を活かすという趣旨の作品の中で、この場面だけは自分の持ち物を出してみる。象徴的な切絵劇の中で、それが幻想であるだけに、ここだけはリアルな空気感を表してみたい。
 そのイメージを言葉で伝えると、今回のCGI(コンピューター・ジェネレーテッド・イメージ)の担当塩竈君は「ゾクゾクしますねえ」と応えてくれる。勘所のいい人と仕事をするのは快楽である。ゾクゾクするような画面が出来る。



  予見しない 2001年12月02日(日) 

 レンタルビデオを返しに出た妻から電話がかかる。
「今日、一本100円だって!」
 なんでもいい、と答える。今一番見たい映画はその店には無いのはとっくに知っている。
「ゼメキスなら文句言わない?」
 さすが、無難なところをよく心得ている。
 ということで『キャスト・アウェイ』を観る。その時点でそれが何の映画だったか忘れている。あんなにテレビ・スポットを見せつけられたのに。それはまた好都合な話なのである。映画学科時代の友人のひとりは、「映画とは観客に驚きを提供するもの」と、きわめて明確な定義を持っていた。良い友人を持ったと思う。実際今日観た映画の監督もそのあたりを押さえている人で、冒頭からそれが何の映画なのだかまったく予見させない展開を形作る。このリズムは好きだ。
 話の骨子は語り尽くされた古臭い漂流譚だし、その後に待ち受けるものにも格段の目新しさはない。それは映像詩のような丁寧な描写で描いても完全には繕い尽くされはしないが、だけど、このどこへ転がるのかわからない冒頭がそこにあることでそれは意味を持つ。まったくもって何の映画が始まったのかを判らせようとしないのだ。ここから出発して「宅配便業者のプロフェッショナリズムの話」も作れるだろうし、「国境を股にかけた浮気話のコメディ映画」にもなり得る。あるいはスパイ映画だったとしても驚かない。そうしたオープンな可能性をもって語り始めながら、すべての可能性を切り捨てて無人島という細い瓶の口に流し込まれる。そのとき、我々は人生というものの不思議な意味のかけらを拾うのである。「行く手に広がる無限の可能性。だが、それが無限であったことなど一度も無い」。



  フランス荷物 2001年11月29日(木) 

 パリで催してもらう原画展のための素材を整える。
 前回の吉祥寺の原画展は、誰が揃えたのか、色つきの絵が少なかったが、もっといい絵がたくさんあるのである。段ボール数箱分のBGをチェックして送るべきものを決める。ついでに参考にした実景の取材写真も同封してみる。ロンドン搭の螺旋階段。ザグレブの聖堂の脇搭。どこだか忘れたが、空から見た農地のモザイク模様(クロアチアと、もう一枚はドイツ?)。
 ふと思い出して、ボックスの城の「ロケハン写真」も引っ張り出してみる。あの景観もモデルが実在するのである。制作中、デザインソースに困った折、制作の高橋君に「なんかない?」と尋ねたところ、『SPRIGAN』の制作担当だった高橋君が取り出したのがトルコの取材写真だったのである。川崎さん、小関君、感謝します。



  『モチモチの木』を作る 2001年11月27日(火) 

 短編を作っていると前に書いたが、4℃特有のあの派手な短編映像ではない。小学校の国語の教科書に載っている『モチモチの木』を、教材用のビデオに作っている。
 今日はその音響関係の打合わせを行う。早瀬録音監督、西村効果音という『アリーテ姫』以来のチームである。今回も『AC04』で編み出した(?)全編止め絵、効果音重視という線で臨む。まず参考用にそのビデオを見る。『AC04』の音響はすべてナムコの社内スタッフで作ったので、西村君には始めて見てもらう。深夜の街で「黄色の13」と主人公の少年、少女が対決するシーンは特に効果音でもって「動き」をよく表現できていると思うので、そこを重点的に見てもらう。
 『モチモチの木』の原作は滝平二郎画伯の切り絵で編まれた絵本である。その絵に秘められた力を最後の一滴まで搾った画面に仕上げたい。実に迫力が込められているのである。だから、ほんとうはアニメーションで作ることが望まれたのだが、下手に動かすのは一切やめる。そして、音楽にも頼らず、効果音で背景世界を広げる。
 音響打合わせのあと、画面用素材の調製を行う。これも相変わらずの『アリーテ』と同じ方法、滝平画伯の絵にさりげなくライティングを施してゆく。

 帰宅するとパリのイランさんから電話がある。『モチモチ』の完成と同時にパリへ飛ばなければならない。『ホームズ』『アリーテ』の上映も、原画展やシンポジウムもあるのだが、むしろ大塚康生さんの御供の旅である。大塚さんの日程に合わせて片渕さんの航空券もすでに取ってありますから、と教えられる。



  何もしない一日 2001年11月25日(日) 

 一日寝て過ごす。
 実によく眠れる。



  函谷関もものならず 2001年11月24日(土) 

 行楽に出かける。
 昨日は午前7時半に出発したがもう遅かった。環八は二進も三進もいかず、ようやく砧からのった東名も動かない。しかたなく川崎で降りて帰ったのである。
 今日はその雪辱戦で(こればっかり)午前4時に家を出る。箱根に着くと6時半である。人々がカメラを並べ、富士山が赤く染まるのを待っている、つまり日の出前に到着してしまった。目的のひとつは大湧谷で黒玉子を食べることであり、仙石原のススキを眺めることであり、温泉に浸かることであり、地球博物館でランドサットの画像を見つめることである。そのどれもにまだ早すぎる。
 とりあえず時間に関係なく開いている大湧谷に行って噴煙を眺め、仙石原でススキを眺め、施設が開くのを待つ。9時になって最初に開いた風呂に入る。それから博物館に行き特設展に入り浸る。これは意外といい企画だった。しかも「次回作」の取材を兼ねてしまえるのだ。
 それら一切を終えて午後2時だ。と思ったら山を登る道に大渋滞が始まっている。東京の渋滞がここまで到達したのである。昨日あのまま車に乗り続けて運良くたどり着けていたとしたらこの中にいたはずだ。だが今日はもう家路を辿るのである。
 しまった、黒玉子を食べ忘れていた。だが、そんなためにもう一度箱根へ行きたいと言い出す家族というのもどんなものだろう。



  流星の雪辱なるか 2001年11月23日(金) 

 しし座流星群には起きていられる状況ではなかったので、せめてもの敵討ちにとプラネタリウムへ行く。
 丸天井に降る流星群は、それ以上に投影機のレンズ・ディストーションのせいで、見事なまでの曲線を描いて飛ぶ。やはり場末な感じが否めない。今は亡き渋谷五島プラネタリウムが懐かしい。あそこは小学生の頃から知っていた。となりの家の同い年の子と子どもだけで電車に乗って渋谷へ出かけ、プラネタリウムを見たあとは必ず東急会館の売店で洋モクのパッケージを真似た煙草型チョコを買ったりした。ラッキーストライクとかキャメルとか。今は呼吸器系に何か支障が生じてしまったらしく、煙草をほとんど吸えなくなってしまっている。
 五島プラネタリウム健在だった最後の頃、星を眺めた帰りに売店で隕鉄とテクタイトのかけらを買った。米粒に毛が生えたほどの小片だ。もっと大きければ良かったのに。その子どもじみた想いの分だけ、グロベルが持ち帰る星のかけらは大きくなっている。



  大胆なんだか細心なんだか 2001年11月22日(木) 

 日本映画界の巨匠が発せられた言葉として「悪魔のように細心に、天使のように大胆に!」というものがあり、真理のひとつを示したものとして感じ入っている。
 ただ、大胆なのは悪魔で、天使こそ細心なのではないかと兼ねがね思ってきた。「人の心を打つための方法論、云々」を言うつもりは別にない。ミルトンの堕天使の地獄に落されながら負け惜しみを言うふてぶてしさが好きだし(あるいは、地獄へ落されて「負け惜しみを言うしかない」境遇に親近感を覚えてしまうせいか)、創作上も「神は細部にこそ宿る」というのをモットーとしている以上そうなってしまうのである。
 最近は細部の追求には、やはり悪魔の微笑を感じるようになった。理由はつまびらかにはしない。ただ、発動機始動用クラッチ曳手の格納方向がそれまでのシリーズでは横向けだったものが、A6M7では縦位置になっていることの理由を知りたいと思うとき、悪魔は確かに笑っているのである。



  カラーチャート 2001年11月21日(水) 

 笹川君が新しい仕事で色指定をしつつ苦労しているらしい。いきなりモニター上に投影された色でバランスをとりながら決めていこうとすると、回帰点を見いだせなくてすべてがアブノーマルな配色になってしまうのだという。
「片渕さんや林さんみたいに、セル絵の具の色番が全部頭に入ってるといいんですけどね」などと言われる。そういうことなら得意だ。「スタックのSB系」とか「YRmの感じ」とか「OではなくNRの方に」とか言えば林さんと話が通じた。お互い、目の前にあるものの色味をセル絵の具の色番で捉えようとし続けてきたのだから。あるとき、喫茶店の自動ドアのガラスの透明が太陽色彩の「0−30」としか見えなくなって困ったこともある。
 色の名前もなるべく覚えるようにしている。名前が分かるのは、もう自分の中で顔をもった色なのである。
 子どもの頃からカラーチャートに類するものが好きだった。最初は母親が編物で使う毛糸の見本帳だった。色んな色合いの毛糸を短く切ったものが、無数に並んでいるのである。父親の書棚の百科事典でも「色」「配色」のカラー図版はお気に入りのページだった。プラモデル用塗料のカタログなども集めた。今使っているパソコンにも、マンセルの色系を表示するソフトが入っている。







 
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