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(2001年12月09日(日) 〜 2001年12月05日(水))

  流星 2001年12月09日(日) 


ちょっと見にくいのだが、流星の原画である。
こんなふうに塗り分けてある。
光の色から、夜空に溶け込むまでの、色の階調を作るのである。
これはデジタル以前の技術。『名犬ラッシー』のオープニングでも同じことをやっている。



  空撮 2001年12月08日(土) 


美しいクロアチアの農地。
このイメージも役立っているのは映画で見ていただいたとおり。



  模型 2001年12月08日(土) 


舞台装置デザイン用の模型。
すでに本編をご覧になった方には、どこの場所かおわかりいただけるだろうか。

ちなみに左の方に転がっている丸い円盤状のものは、ヘリコプターのローターの模型である。提灯のように引っ張りのばすとあの立体になる。

(これは前に撮っておいた紙焼きの写真なのだが、こんなことではいずれデジカメも買い込まなければならなくなるかも知れない)



  調子にのってもう一枚 2001年12月08日(土) 


彼女がめくる本のページにご注目下さい。
水色で描いた碁盤の目を目安に、各ページに美術部が描いたページの絵を貼り付けるのである。
こういうところでデジタルを活用している。

(ここに画像を載せたい一心でスキャナーを新調までしてしまったので、いつもより多めに回しております)



  水晶玉 その2 2001年12月08日(土) 


それだけでは済まない。
さらにその上にこのセルをダブラシて重ねる。
面ごとに表面反射の明暗をつけて立体感を出したかったのである。



  水晶玉 2001年12月08日(土) 


これは水晶玉の塗り分け。
この色鉛筆にしたがってセル(デジタルなのでデータ−上の仮想のセル)を塗り分ける。



  画像 2001年12月08日(土) 


資料画像についてのリクエストが多かったので、試しに載せてみる。こんな機能もあったのである。
カット256のアリーテ。
描かれている黄色い紙は、これが作監修正であるしるし。
これは尾崎君の絵である。
線が抜けているところは、別紙の原画から線を拾って動画マンが清書する。



  コンテ 2001年12月07日(金) 

 しかし『薔薇の名前』でいただけなかったのは、コンティニュイティがぞんざいなことだ。同ポジの切りかえし切りかえしだとか、無理に断片を集めて編集で組み立てたようなインサートカットが多すぎる。それぞれのカットがエスタブリッシュメントされていないのだ。撮影場所の関係で余程早撮りが要求されたのかも知れない。
 映画は単なるカットの集合体ではないはずなのだ。それぞれのカットがそのカットであるというだけで強烈な「見世物」になっていなければ目を凝らす甲斐がない。その上でカットの組み立てそのものが映画の本質である「驚き」の要素に満ちていることが、映像に緊張を生む。
 などということを考えながら『ちびまる子』のコンテも切って来た。やっていた頃の『まる子』は、シナリオを原作者のさくらさんがやっていたので内容そのものをどういじるかという悩みがこちら側には全くなく、「演出」に集中出来た。最初に芝山さんが作り上げた組み立てのルールが、立体的な切りかえしはなし、エスタブリッシュメントされたマスターショットをアップで拾う、という方法論だったので、それはそれで(煙に巻くような話だが)黒澤明のマルチカムってこういうことなのか知らん、と思ったりしてしまう瞬間もあって、それなりに工夫を凝らしていたつもりだったのである。
 偉そうな話だが、まあ、『アリーテ姫』の割と長回しの各カットもそれなりの考えがあってやってはいたのである。



  中世を映画で見る 2001年12月06日(木) 

 某友人が彼の大好きな『薔薇の名前』の映画は見たか問うのだが、見たも何も、風邪ひき娘の面倒で自宅で過ごす今、横のテレビで昼の映画劇場でやっているところだ。『アリーテ』の準備室にわざわざ自弁でテレビデオを買って来て、森川さんに見てもらったうちの一本がこの映画だった。ジャン・ジャック・アノーは『スターリングラード』もそうだったが、人間の顔の造形にこだわる人だと思う。『薔薇の名前』ではとことん「中世をイメージさせる顔」にこだわっている。森川さんにその気分を汲み取って、職人たちのデザインをしてもらいたかったのである。
 もう一本挙げるとするなら『処女の泉』だろう。ベルイマンは黒澤の『羅生門』にインスパイアされてこの映画を撮った。造形上のリアリズムはそれ故だ。『処女の泉』で見る昔のヨーロッパの服飾は、いかにも現代のデザインと直結している。そのまま今に持って来て着て歩いても、振り返られることもあるまい。強いて言うなら何が違うか。手縫いの糸の縫い目がたいへん大きい。そこが違う。
 中世の頃のヨーロッパの衣服は袖口などがたいへん細く、体にぴったりとフィットしている。あれは、伸び縮みのある素材を使っているわけではない。着てから、袖の開きを縫いつけているのである。アリーテの袖口にもこの縫い目をつけた。衣服全体に『処女の泉』の縫い目をつけられれば良かったのだが、あまりに煩雑なので、象徴的に使ったつもり。
 『処女の泉』からは、まだ森で覆われていた頃のヨーロッパの雰囲気も借りた。緑の牧草地、一面の農地のヨーロッパは開発が進んだ後世のものなのである。古くは地平線まで果てしなくつづく森なのであった。そういうカットも作った。このカットでは、美術では「森」ではなく数本の「木」を描いてもらい、それを大量にコピーして笹川君が画面に植え付けた。その方が無数の木が並んでいる感じが出るかと思ったのだが、どうだったろう。



  娘、寝込む。 2001年12月05日(水) 

 5歳の娘が熱を出したので面倒を見る。
 心待ちにしていた遠足にいけなくなってしまったというのに泣き言ひとついわず、「はじめてカゼひいたぞ。お薬飲んでバイキンやっつけるぞ!」などとやっているのが健気である。
 お昼ごはんにホットケーキを焼き、冷蔵庫にあったソーセージとプチトマトをつけ合わせる。どこかで見たような皿になる。別にキキを真似たわけではなく、あれは『魔女の宅急便』の方が我が家の食生活に取材しているのだから仕方がない。何でも出てくるパズーのカバンというのも、あの頃使っていた僕のバックなのではないかと疑っている。ホッチキスとかやたらなものを持ち歩いていたし。







 
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