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(2001年12月29日(土) 〜 2001年12月17月(月))

  新装開店 『非・公式サイト』 2001年12月29日(土) 

 プロデューサーの栄子さんから、「そういえば『アリーテ姫』の『公式サイト』って、年内いっぱいって契約になってた」と、突然降って沸いたように言われたのは、ほんのついこのあいだのことだ。

 『アリーテ姫』というのは、どこにでもそこにでもあるという作り方をしていない。たくさんの方々の意気込みを結集して捏ね上げて出来たようなフィルムなのである。反面、この作品にはほんとうに宣伝予算というものがない。新聞で何気なく見るような上映広告だって、自分も全然知らなかったが、あれだけでもけっこうなお金が必要なのだそうだ。我々の場合そうとう腹をくくって思い切らなければ広告ひとつ打てない。そんなお金、全部直接製作費に使ってしまった。宣伝も映画のうちだったか、と今更言っても遅いし、悔やむ気持ちも別にない。まさしく「Standing out from the norms of mainstream"comamercial" Japanese prodaction.」はひとつの精神なのである。
 けれど、ここで「公式サイト」まで失ってしまったら上映情報を公開する手段が無くなってしまって、さすがにちょっと困ってしまう。

 ところが世の中拾う神もある。自分でも良く分からないうちに、あっというまにここにこうして、カントク個人営業の新サイトが立ち上がってしまった。
 サーバーを提供して下さったのは九州のF4Uさん。企画から管理運営のあらゆる面では北海道の小笠原さんが力を振るわれる。そうしたご尽力は、何かに対するボランティアというよりも、『アリーテ姫』のこの状況をテーマに面白いサイトを作りたいという心からのことなのだと理解している。その証拠に、年明けからはご自慢の新企画をはじめようと小笠原さんが手ぐすねひく様子がすでに伝わって来ている。皆さん、楽しみにしましょう。



  おまけの一日 2001年12月24日(月) 

 成田着はクリスマスイブの午後になる。
 電車を乗り継ぎ、池袋で大塚さんとお別れする。
 夜明け前のパリの街を歩いたのは今朝のこと、楽しく昼食のテーブルを囲んだのは今日のお昼のこと、体はそう記憶しているが、あれは全部もう日付を超えた向こうの日のことなのだ。



  最終日 2001年12月23日(日) 

  やはり早朝に目覚める。むしろ8時間ずれた日本時間の朝である。6時半まで待ってまたぞろ市内散策に出撃する。ウィークエンドなので朝まで飲んだ若者たちがそろそろ帰ろうかという時間。

 フォーラム事務局はやはり閉まっているので、どうしようかと思っていたら、愛奈さんがやって来たので、下の警備員(昨日ののっぽ)に頼み込んでもらって、映画館の出口から入れてもらう。ひとりでだと多分いつまでも入れなかった。
 11時になるとスタッフのみんなが集合。みんなの狙いはひとつで、サインをねだって大塚さんを取り囲む。大塚さんは「しょうがないなあ、でもこうなると思ってたんだよ」と、ひとりひとりに次元やルパンを描いてゆく。表で受付をやっているパリジェンヌたちも来て、サインを求める。
「僕はダイス船長にして下さい」と、イラン君。あなたまでがですか。
 ついでに僕にも何か描けというので、こちらは一つ覚えにアリーテばかりを描く。大塚さんにずっと通訳としてついて来た愛奈さんにだけはこっそり大塚さんの似顔も添え描きしてあげる。

 みんなでお昼御飯を食べに行く。一度食べてみたかったシーフードの盛り合わせを注文する。大塚さんも同じものを注文される。二人前の海産物が氷の山の上に山盛りになったのが出て来る。そのあまりの巨大感に「びっくりしているポーズのふたり」という写真を撮る。みんなで楽しく笑う。
 席上カワ=トポールさんからベルギーのフィルムフェスティバルの連絡先をもらう。パリで上映された『アリーテ姫』に注目してもらえたのだそうだ。カワ=トポールさんにはフランスの配給プロデューサーがふたりほど、やはり『アリーテ姫』に注目していたともうかがっている。「もっとも、その先どうなるかはわかりませんが」
 中世史の研究家であるカワ=トポールさん御自身で書かれたという中世の遺物についてのパンフレットをいただく。ほんとうだ、アリーテに出て来たのにそっくりな宝物。カワ=トポールさんは前に、中世を舞台にした映画を集めたフィルム祭をご覧になったそうなのだが、その中に突っ込んでも『アリーテ姫』はかなりいけている方だ、と言って下さる。個々の細かいものはともかく、全体の雰囲気が中世をドキュメンタリーでとらえたようだ、などと。まことに光栄な話で、恐縮する。
 

 もう、みんなともお別れ。空港へ向かう。イランさんと、それから通訳仲間のうちではすっかり大塚さんの養女になってしまった愛奈さんが空港まで見送りに着いて来てくれる。ヴァンソン君たちは今頃フォーラムで、今夜『アヴァロン』の上映がある川井さんの取材対応の仕事をしているはず。
 ラウンジでコーヒーを飲み、名残惜しく別れる。
 大塚さんとふたり、飛行機に乗る。



  第5日 2001年12月22日(土) 

 丸一日をパリで過ごせるのは今日で最後。
 ここへ来て時差ぼけがすっかりなくなり、やたらと体の調子が良くなる。だもので、また夜明けの市内を歩き回る。ルーブルが朝日を浴びている。
 今日はひとりでフォーラムへ「出勤」する。誤算だったのは、土日は事務員が休みで裏口が開いていないことだ。うろうろしていると、通りかかった女性が「Mister Katabuchi?」と声をかけて来る。フォーラムの職員の方だった。「Come with me!」と鍵を開けてくれる。
 会場内に張られたアリーテ姫の写真などをカメラに収めていると、とてものっぽの黒人の警備員が来てとめられる。撮影禁止なのだそうだ。しかし、一般客はまだ来ていないし、なんでまた。

 11時から日本のアニメーションの現状を語る公開討論会が開かれる。開催中ずっと毎日開かれていたようなのだが、今日は「片渕さんも出て下さい」とイラン氏に頼まれたのである。
「僕のほかに日本のアニメーションに詳しいフランス人二、三人が喋るんですが、割と抽象的なところが多くて、ほんとうのところどうなのか喋ってもらえれば」

 話が始まると、日本のアニメーション作家をどのように分類するか、というようなことをやっている。東映動画、虫プロのあたりから始まって、大友・押井に至る系列を整理しようとしているらしい。
「りんたろうは作家性がはっきりしない。与えられた原作をそのままやっているだけではないか」などと語る人がいるから、
「りんさんの作品はどれも皆、必死に戦ってがんばって努力して、でも主人公は何も手に出来ずに終わるという空しさの中にある何かを描く、ということで全作品の主題が首尾一貫しているのだが」などと、ついつい喋ってしまう。イランさんが「そうですね、『メトロポリス』もそうですね」などと自分の見解も巧みに織り交ぜつつフランス語に訳してくれる。

 取材が一件。フランス唯一の日本のアニメの雑誌「アニメランド」。元は同人誌から出発したというだけあって、3人がかりでかなり突っ込んだ質問をされる。
 美術監督の名を訊かれ「西田稔さん」と答えると、記者のひとりが「『チイサナバイキングビッケ』『…』『…』」などとやたら詳しく西田さんのフィルモグラフィーを語り始める。ほんとうにマニアなんだな、この人たちは。またも時間オーバーして話し込む。どうせ、今日はもう仕事はないのだから。

 大塚さんや通訳の人たちと事務局にたむろしてだらだら過ごす。写真を撮ったり、名刺を渡して連絡先を教えあったりする。イランさん、アキコさん、キョウコさん、アイナさん、ヴァンソン君、クレモン君、それに大塚さんの作画ワークショップのアシスタントで元ジブリのアニメーターのダヴィッド君。
「アキコさんて『武田晶子』っていうんだ」
 と、林愛奈さん。日本人同士でも名刺を交換して初めて苗字や漢字表記を知るというのが、なんだかおもしろい。取材の時など通訳のお世話になったのは坂本恭子さん。
 今夜は折りしもパリを訪問中の宮崎駿さんをここのフォーラムの所長さんが招いての夕食会があるとかで、じゃあ、このみんなで明日は昼御飯をともにしてお別れ会をしようということにする。



  4日目つづき 2001年12月21日(金) 

 上映終了後、スクリーンの前に机を出して、コロンバ氏と色々喋る。観客からの質問もあるが、どうもこの夜は気が回らなくなっていたようで、ぞんざいな答えになってしまって申し訳ない。
 質問の中で印象的だったのは、「大塚康生さんが御自作を紹介されたとき、『日本のアニメーションはヨーロッパを題材にすることが多いが、ヨーロッパから持って来たものに日本流の味付けをして完成させる』と聞きました。でも『アリーテ姫』の世界はまさしくフランスそのものだと思うのですが?」というもの。
 ほかにもこの映画の舞台は「フランス」という声はかなり耳にした。「魔法使いの国には日本が反映されているのですか?」とも。
「時代考証の資料収集はいったいどうやって行ったのか?」
 実はたいしたことはしていないので恥ずかしい。

 それからコロンバさんたちと近所の寿司屋に出かける。コロンバ組のスタッフの方たちも参加する。やはり陽気な海賊の手下たちみたいな感じで、親分とのマッチングが良い。
「パリへ来てなんか面白いもの見たか?」
 と、コロンバ親分。
「今日はノンマルトルの教会とか見て」
「駄目だなあ。裸の姉ちゃんが胸をボンボンやって踊ってるとこ見なくちゃ、パリへ着たとは言えねえ」
 やっぱり素敵な人だ。どうも上映後のトークでもこの調子でジョークを飛ばしまくっていたみたいで、話の中身を僕に伝えようとする通訳たちが混乱していたのも無理はない。
 せっかく日本から持ってきたアリーテの背景画を見せる。
「小さいな」
「うん、思ったよりずっと小さく描いてある」
 などとフランスの絵描きたちは顔を寄せ集めている。ただの陽気な海賊たちではない。
「質問だが、塔から見下ろした街から地平線までPANするあのカットはどのくらいの大きさに描いたんだ?」
「マルチプレーンは使ったのか?」
 我々の使う技術は万国共通語である。
「アヌシーにも出すのか?」
「出来れば」
「その時には必ずパリへ寄ってくれ。奥さんも連れて俺んちへ必ず来るんだぜ」
 と、名刺をもらう。
 もうおいとまの時間。
「Monsieur Colombat! See you next time!」
 と、去り際に声を投げる。混み合った室内の奥の方から、あのカッコ良いダミ声が返って来る。
「See you soon!」
「おお、Soon!!」



  第4日 2001年12月21日(金) 

 今朝はまたなんと4時前に目が覚めてしまう。
 7時になってホテルの朝食が始まるのを待ち、そそくさと食べると町歩きに出かける。昨日とは反対に東のほうへ歩き、寒いし、くたびれてきたのでノートルダム寺院に入って休む。聖堂は暖房が利いているし、椅子があって足を休められるので、ほんとうに助かる。お礼の意味も込めて10フランで蝋燭を買って聖ジャンヌ・ダルクに供える。曾祖母がカソリック教徒で教会付属の幼稚園に入れられたので、三児の魂なんとやらで十字が切れてしまうのである。
 こんなおおきな聖堂の片隅にも、お人形を並べてベツレヘムの厩が作ってある。赤子の入るべき籠はまだ空っぽのまま。25日になったら、あそこにも小さなお人形がのっかるのだろう。

 今日も午前中は予定がないので、ヴァンソン君に案内してもらってノンマルトルへ行く。さすがに地下鉄に乗る。本来はオルレアンの住民であるヴァンソン君より自分のほうが地下鉄乗り場の勘が利いてしまうところがあっておもしろい。
 ノンマルトルでもまた教会へ入る。ここにもジャンヌ・ダルクの像がある。なにせヴァンソン君はオルレアン市民なので「ほら、ジャンヌ・ダルクがいるよ」というと、「へえー、そんなのがこんなとこにあるもんなんですねえ」と言っている。「こっちの像はなんですか?」「ええっと、これはヨセフ」何かが逆であるが、まあ、それはこちらの年の功ということで。
 ここにもお人形でこしらえた厩がある。マリアさんの腕の中はやはり空っぽ。そこに赤ちゃんが抱かれるところを見たいのだが、その頃には東京に帰っているだろう。
 それからエッフェル塔を下から見上げて、フォーラムへ帰る。
 これから『名探偵ホームズ』の上映があるので舞台挨拶するのである。

 上映前の観客に『ホームズ』を説明しようとして「戦艦」という言葉を出したのがまずかった。「戦艦」なんてテクニカルターム、通訳のふたりとも知らないのである。おそらく観客にもわかるまい。あらためて自分の常識が世間並みではないことを思い知る。

 夜は『アリーテ姫』の上映。前後に舞台上がって話をするのだが、これはフランスのアニメーション作家ジャック・コロンバ監督とふたりで行う。コロンバ監督は1991年にはじめての長編として『ロビンソンと仲間たち』という作品を発表されている。そのビデオを手に入れてもらって事前に見る。カワ=トポールさんのオフィスのテレビを貸してもらってそれを見る。見るうちに5人の通訳たちも集まってきて満杯になる。みんなに台詞を訳してもらいながら見る。『アリーテ姫』のことをこの催しのパンフレットでは「商業作品としては独自の立場を築く」云々と書かれているが、このコロンバ版ロビンソン・クルーソーにこそそんな形容がふさわしい。やはり、製作費を集めるのにも苦労されたようである。何となく『アリーテ姫』とコロンバさんさんをカップリングしたその心が理解できてくる。
 怖い人でなければいいが、と思ったコロンバさんが来る。歳は向こうのほうが二十近く上のはずなのだが、ハードボイルドなしゃがれ声で渋くジョークを飛ばしまくる海賊の親玉みたいな「親父」である。素敵な人だ。
 ありがたいことにかなり器のある客席は前売りですでに満席だそうである。まず、コロンバ氏がポール・グリモーのところにいたときに作ったという古い短編を上映する。「見終わってから非道い奴だなんて言うなよ。俺だって妻もあれば子どももある普通の人間なんだぜ」
 見終わった後、ヴァンソン君に「あんたは非道い人だ」とコロンバに伝えてもらう。「親父」はにやりとする。あんなに可愛らしい絵で、あんなに可愛らしい笑顔で泣かせられるとは思わなかった。この人は「人間」とは何かを知っているのだ。



  第3日 2001年12月20日(木) 

 今日は朝からテレビの取材。大塚、川井、今、片渕でレストランのテーブルを囲んで和やかに話す姿を映す、という企画らしい。テーブルといってもパンしか出ないので、今さんはすっかり腹をすかしてしまったらしく、猛然とクロワッサンに組ついている。「少し飲んだほうが口の回りがよくなるかな」などと軽口をいったらほんとうにワインが出てきたので、食べ物も頼めば良かったのかもしれない。奥ゆかしいのである。アニメーションにたずさわるようになったきっかけから話題が始まって、「安い」とか「きつい」とか、「でも金なんかもらった出来なくなるかもしれない」さらには「今後の日本のアニメーションは何を作ればよいのかわからなくなりかけている」などと話しが続く。
 ひととおり収録を終わってテーブルの上を見ると、「金」とか「束縛」とか書かれたカードの山がある。「話題がとぎれたときにはそれをめくって話しを継いでもらおうと思ってたのですが、そんなもの出さなくてもほぼ皆さんの話題がこちらに考えている方向へ向かったので良かったです」と言われる。まあ、アニメ業界の話題なんてそんなところなのだろう。しかし、「金」のカードには笑った。

 午後は予定なし。
 大塚さんは12日からこちらへ着ているのだが、すでに2度廃兵院に行かれたとかで、大塚さん付の通訳愛奈さんが「大塚さんたら、片渕さんがみえたら絶対連れて行くんだっておっしゃってたんですよ」とのこと。中世の甲胄の素晴しい展示があるのだそうだ。大塚さんと僕、それにそれぞれの通訳がついて、まず向かうのはルーブル裏の札幌ラーメンである。ここもすでに大塚さんと愛奈さんのお馴染みなっているらしい。
 廃兵院アンバリッドの展示物は確かに素晴しく、しかも造詣深い大塚さん直々の解説がつくのだからこれはまたとなく得難い。ここにはほかにもナポレオニックの軍装品や第一次、第二次大戦の展示もかなりある。「あとは見てきてちょうだい。僕はコーラ飲んで休んでるから」と、大塚さん。ここまで歩いてきたのでお疲れなのである。「あとはこの人が詳しいから解説してくれるから」と僕が指名されてしまう。だが、もう閉館時間だとかで慌ただしく追い出されてしまう。
 お疲れの大塚さんはそこからバスで帰られ、僕はヴァンソン君とシャンゼリゼの方まで足を伸ばして、クリスマスの電飾を見物に行く。パリへ来る機会はこの先もあるかもしれないが、クリスマス前というのはそうあることではない。ヴァンソン君はさらに遠くにも「ぜひ片渕さんにみていただきたい」光のきれいな広場がある、と誘う。「ここまで来たらオペラ座のロビーものぞいて行きましょう」ふたりして焼栗を食べながらひたすら歩く。今日だけでいったいどのくらい歩いたことになるのだろう。

 夕食はサンドイッチになる。夜の部で大塚康生作品集の上映があり、大塚さんが一本ずつに解説を加えられるのである。興味深いので拝聴に行く。ああ、僕も20年前こうした大塚さんのお仕事にあこがれてこの道を選んだのだった。最初に演出に手を染めたときには、文字どおり手取り足取り教えていただいた。机を並べて仕事が出来た一時期は今は遠く、だが再びこうしてふたりしてパリの地に立つことが出来ている。感慨深い。



  第2日 2001年12月19日(水) 

 フォーラムはパリ市のど真ん中にある。宿もそのすぐ近く。ルーブル美術館とかノートルダム寺院とかが歩いて数分という地の利なのである。
 早起きしてしまったので、ひとりで散歩に出る。ここは日本とは8時間時差がある上に、緯度の関係で日の出がすごく遅い。妙な時間に目覚めて夜明け前の町中を歩くことになる。やがて、町並の窓硝子が暁に輝き出す頃、ワークショップの先生に「出勤」される大塚さんとばったり出会う。
「いやあ、くたびれる。僕なんかもう齢なんだからほっといてくれるといいんだけどね」
 そうはいかない。世界のアニメーターが大塚さんの教えを待っているのだから。

 9時半に通訳のヴァンソン君が迎えに来る。フォーラムの会場を案内してもらう。大塚さんがワークショップで教えておられるところも見学する。
「ここはこうしてね、こういうポーズにしたほうがね……」
 生徒の原画に修正用紙を当てて上から自分の線を入れられる大塚さんのお姿を久しぶりに拝見する。自分が演出をはじめたときも、原画チェックの仕方を同じように教わったので、ひじょうに懐かしい。

 そのとなりの部屋では、高畑さんの『ゴーシュ』の背景や、その昔大塚さんが『やぶにらみの暴君』を研究されたときのスクラップブックや模写が展示されている。『アリーテ』の美術もここに並ぶはずだったかと思うと少し残念。
 日本への留学経験があるので今回の通訳となったというヴァンソン君は、しかしアニメーションのことはあまりよく知らないというので、このギャラリーの展示物をひとつひとつ説明してあげる。
「これが原画で、こっちはその上に修正を乗せた作画監督の絵」「セルにはこうやって裏から絵の具を塗って、表に返すとほら、こんな感じ」「これは椋尾さんというアートディレクターの絵。残念なことにもう亡くなってしまった」
 椋尾さん独特の水洗いの技法まで説明してしまう。

 僕の今日の仕事は取材対応である。予定表を見ると7件ぐらい入っている。あまりに多いだろうということで、イランさんが2件ぐらいキャンセルにしておいてくれている。最初の取材の人の前で喋りはじめると、「あれ?」と言う。「今さんじゃないんですか?」「この人は片渕さんです」とこちらの通訳。「あれれ?」とかフランス語で言っている様子。どうも、今さんへの取材を申し込んだのが間違えて僕のほうに振られてしまっていたらしい。ということで、また1件減る。
 インターネット・サイトの取材というのもある。インタビュアーより、横でビデオを回してるカメラマンの方が日本のアニメーションに詳しいらしく、時々妙に明確に口を挟んでくる。あとでイランさんが言う。
「そうだ。彼が例の『フランス・ファイブ』の作者なんです。言うの忘れてました」
 なんだ、それを早く教えてもらっていればもう少し話が弾んだかもしれない。日本でも知る人ぞ知る『フランス・ファイブ』のビデオを日本に持ち込んだのは実はイランさんなのである。

 昼食時、フォーラムのディレクター、カワ=トポールさんが、「実は15日土曜日にも、子ども向け上映のプログラムで『アリーテ』を上映しました」と、教えてくれる。小さい子どもが見て退屈しなかっただろうか。
「字幕が読める8歳以上限定、ということにしたんですが、もっと小さい子もたくさん入ってしまった。けれど、彼らも熱心に画面に見入っていましたよ。騒いだりせずに」
 ほんとかなあ。カワ=トポールさんはひじょうに気を使って下さる人なのである。

 16時からの取材が今日の最後。「La Gazzette des Scenaristes」誌という。表紙のデザインなどひじょうに凝っていて、ほんとうにシナリオ雑誌なのだろうか。ここの女性記者の方は15日に『アリーテ』を見ておられ、ひじょうに的確な質問を投げて来られる。こちらも答えるのが楽しくなってしまって、どうせ今日の最後だし、1時間以上予定をオーバーして話し込む。せっかく持って来た背景や原画もここぞとばかりに見せびらかしてしまう。

 明日はもう今さんが帰国してしまわれるので、せめてもの市内観光にと大型タクシーを借りてあちこち回ることになる。あちこち、というかルーブル美術館でも「寒い」と言って降りなかったし、ほとんどシャンゼリゼ大通りを凱旋門まで往復するだけだった。しかし、時まさにクリスマスシーズンのシャンゼリゼは電飾も美しく、渋滞する車の列の明かりですら電飾のようで美しく、いたくご機嫌になられた大塚さんの口から「おおー、シャンゼリゼー」の歌が何度も飛び出す。「ここもシャンゼリゼだよね。ここも、ここもまだシャンゼリゼだよね!」



  第1日 2001年12月18日(火) 

 朝早く起きて成田へ向かう。根が子どもなので窓際の席が取りたい一心なのである。
 空港は警備が厳しく、チェックインカウンターの入り口の荷物チェックですでに何百メートルかの長蛇の列が出来ている。飛行機に乗り遅れてしまったソウルの思い出が頭をよぎってしまう。早めに来てよかった。
 ようやく自分の番が来る。
「窓際、まだ空いてますでしょうか?」
「お二階でもよろしければ」
 二階? フランスで用意して下さった航空券はビジネスクラスだったのだ。今の今までエコノミーだと思っていた。ひとり恐縮する。

 パリに降り立つと、イラン・アングエン氏が出迎えに来ている。イランさんは高畑勲監督の研究家であり、今回のプログラムディレクターのひとりでもある。『アリーテ姫』がフランスでかかるのも、僕などをフランスに呼んでもらえたのも、すべてこの人のおかげなのである。
 同じ飛行機には、押井守作品などの音楽家である川井憲次さんも乗っておられたらしい。川井さんも今回の催しのゲストなのである。同じ車で市内のホテルに向かう。

 「今回の催し」というのは、パリのフォーラム・デ・ジマージュ(イメージフォーラム)が開く「Nouvelles images du Japan」というかなり大規模な日本のアニメーションの上映週間である。夕食の席に大塚康生さんと今敏さんも出て来られる。川井さんと僕と、4人が今回招かれたゲストである。2年前の第1回(今回は2回目)には高畑さんが来られたそうだ。大塚さんは、ずいぶんたくさん作られた自作の解説をされるのと同時に、フランスのアニメーターを対象に作画のワークショップも受け持っておられる。すでに何回かの授業をされた由。



  出発前日 2001年12月17月(月) 

 明日からパリへ行かなければならないのだけれど、準備をしていない。床屋へ行くのはもうあきらめた。月曜だからお休みなのだ。着るものも少し買い足さなくては。シャツと靴下とセーターと上着を買わなくては。ふだん身繕いにあまりに無頓着だと、こういうときに困ってしまう。
 向こうへ持参するアリーテの資料も選び出さなくては。
 それやこれやでどたばたして、ふと見ると、荷物の下敷きになって自宅のパソコンが壊れてしまっている。出入りしているあちこちの掲示板に「行ってきます」が書き込めなくなってしまった。







 
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