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(2002年01月08日(火) 〜 2001年12月30日(日))

  昨日のCMのコンテ仕上げる 2002年01月08日(火) 

 今度は秒数も丁度におさまる。
 すると急に眠気がさしてきて、ついうたた寝してしまう。起きると娘を保育園に迎えに行くため会社を出る時刻が近い。ふと、気に入らないところを見つける。どうする、直すか? 直すにしても現状のバージョンもコピーに取っておくべきか。
 コンテ原稿をもってコピー機に行く。4℃では昔ながらの薄くざらざらした絵コンテ用紙を使っている。実はこの紙は、その昔絵コンテを青刷りコピーしていた頃のその青刷り原紙なのである。いまだにこの紙をコンテ用紙に使っているスタジオは意外と多い。この表面のざらつきが鉛筆の芯の「粉」を良く掴まえて描きよいし、少なくとも小さい筆圧で描けるので腱鞘炎には良い。その上、紙質が薄いので下に敷いた紙に描いたものが透けて見え、下書きを清書するのにトレス台を必要とせず演出家には便利だ。が、弱点もある。紙が薄いのでコピーをオートで使うと原稿詰まりを起こしやすいのである。
 ということで、退社間際にCMの絵コンテはコピー機の中でくちゃくちゃになってしまった。……まあいいさ。もう一日スケジュールに余裕はあるし。
 ……。



  なるほど 2002年01月07日(月) 

 新年早々、出社と同時に新しいCMの絵コンテの仕事を与えられる。
「こんなこともあろうかと」ちゃんと会社と家とそれぞれ一個ずつストップウォッチを常備している。
 昨日までの自宅作業でウォーミングアップ充分なので、15秒くらいの絵コンテならたちまち片付けてしまう。のはずなのだが、15秒スポットなのに21秒も絵コンテが出来てしまった。……。
 『大砲の街』の作画監督小原さんはCMアニメーターとしても活躍しておられるので(最近ではQooちゃんかな)、その世界のこともいくらかうかがったことがある。
「4コマでも『間』になるんですよ、CMでは」
 こちらの感覚では4コマを『間』とは言い難い。まったくタイミングの概念が違うのである。今日はそこに直面してしまったわけだ。帰宅後もふだんならあまり見ないテレビをつけっ放しにする。ああ、30秒CMのタイミングならなんとか分かるのだけれど。明日再チャレンジする予定。



  謎の招待状受信 2002年01月06日(日) 

 1月3日、見知らぬ韓国の方の名前でメールをいただく。ただしハングルなので読めない。友人の韓国青年は旅行中である。胃袋さんの会社の同僚の方で韓国の方がおられたという話だったのを思い出し、お忙しいところに解読をお願いする。何か妙なスパムメールだったら嫌だなあ、と思いつつ待つ。
 そんなふうに思ったのはたいへん失礼なことで、ところがこれがなんと、翻訳していただいたのを見ると、何か韓国で行われる映画関係の催しへの招待状だったのである。正月早々嬉しい報せをいただいてありがたく思う。
 ただ問題は、それが何の催しで、いつどこで開かれるのかが全く分からないことである。どうもそういったことはメールに添付されていたファイルの中身に書いてあるらしいのだが、韓国のワープロソフトなので開け方が分からないのである。インターネットというものも案外インターフェイスがたいへんなものなのだなあ、と途方に暮れる。



  今日も仕事をする 2002年01月05日(土) 

「今日も仕事をする」
 なんと当たり前のことを書いているのであろうか。
 けれど、仕事場は日曜日いっぱいまでお休みのままなのである。この辺の設定の仕方が意外と優雅な会社なのだ。だから今日は家の畳の上で仕事している。
 仕事を進めさせ、終わらせるのは「意地」以外の何ものでもない。今日はこれだけやる、と自分で決めたノルマを是が非でも乗り越えてみせる自分への意地である。しかし、そうした意地を見せるまでもなく案外拍子抜けするほど簡単にノルマが達成できてしまったので、今日の残りは寝転んで息子がお年玉をはたいて買って来た「名探偵コナン」の単行本を読んで過ごす。まだまだお正月なのである。



  仕事をする 2002年01月04日(金) 

 年末にテレビシリーズの絵コンテの仕事をピンチヒッターでお引き受けしてしまった。
 以前は『絵コンテは天職と心得ております』などと調子のいいことを言っては、コンテの仕事ばかりもらってやっていた時期もあったのだが、思えば一昨年『アリーテ』の完成前のちょっとした空き時間に2本ぐらいやったのが最後で、それ以降まるでやっていない。明らかに腕が錆びついているのが自分でもわかっている。年も明けたことだし、この辺でなんとかしたいところだ。
 実は元日に10カットくらい手をつけたのだが、あまりに錆々な中身になってしまったので、これは少し転がしておくしかない。2日間ほど正月らしいことをやって、今日は30カットやる。リハビリとしてはこんなところなので、明日からは本格的なペースに戻したい。……と、思う(〃)。



  新年の抱負 2002年01月03日(木) 

 今日は友人雪風2さんと野郎二人の初詣に出る。
「天を焦がさんばかりの大火を発す」とか「渡しを求めるに更に舟無し」などの名文句が散りばめられた彼が引いた御神籤「凶」のボキャブラリーの豊富さに心から感心する。
「これは境内に結んどいた方がいいよ」
「そ、そうですね」
 力いっぱい御籤を縛ろうとして、真っ二つに引き裂いてしまった雪風さん。氏の本年の運命はどうなってしまうのであろうか?



  お正月 2002年01月02日(水) 

 東京近郊にある実家に顔を出す。『アリーテ姫』が紹介されたパリの催しのパンフレットと、飛行機の本を持参する。どちらも息子の仕事であるというのに我が父は映画の方の本しか手に取ろうとしない。正月早々無骨な機関銃を積んだ飛行機の話をするより、それはその方がのどかなことなので良い。父がほかにも見たというアニメーション映画の手厳しい寸評なども聞く。だんだん話がのどかでなくなる。
 ところで、若い頃にはあまりろくに話もしなかった父であるが、よくよく話を聞いてみると伯父のひとりが戦時中に飛行機技師をやっていたらしいことが判明する。因縁というのはどこに転がっているか分からない。年長者とは日頃からちゃんとコミュニケーションしておかなければ駄目なのだと教えられる。



  謹賀新年 2002年1月1日(火) 

2002年もよろしくお願いいたします



  「公開開始」の年を終え 2001年12月31日(月) 

 『アリーテ姫』の完成は昨年であったが、今年は公開の年であった。そして今もまだ公開中のまま年を越えることが出来た。この先もまだまだ「公開中」を続けてゆく。来年も日本のどこかでお会いいたしましょう。



  言葉なき夜に心沈む 2001年12月30日(日) 

 このような場所に書くべきことなのかどうか分からないのだが、書かずに済ますことも到底出来ない。事件解決を迎えぬままの一周忌となってしまった。
 宮澤さんとは最近ではお互い学生だった頃のように顔を合わすこともなくなっていたのだが、たまたま昨年はちょっとした友人関係の集いで一緒した。スタートレックのガジェットらしいものを人に向けて妙な効果音を立てていたのは相変わらずだったが、以前にはなかった新しい彼の顔としてたいへん子煩悩らしい様子が覗かれ、それがこの十年ほど我々がそれぞれの道程を歩んだことの証でもあった。それが彼の最後に残した印象となってしまったことが残念でならない。亡くなったお子さんたちの写真も見せられたような気がする。奥さんのことはふたりの結婚を祝う会でも姿が記憶に残っている。彼が彼女のおデコにチュッ、と口づけしていた幸せそうな姿が瞼の裏からはがれない。
 冥福というものがあれば良いのに、と本当に思う。心の底からそう思って止まない。







 
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