i-mode  検索  


(2002年02月08日(金) 〜 2002年01月31日(木))

  飛騨高山上映ポスター 2002年02月08日(金) 

2002年3月9日上映



  『アリーテ姫』今昔物語(14) 2002年02月06日(水) 

 子どもの頃同居していた祖父が映画館主だったりしたもので、「漫画映画」には慣れ親しんでいた。といっても、ディズニーみたいな洋画は入らないので、もっぱら東映動画ばかりでしかなかったが。

 東映長編で心に残っていたのは、世間的に出来が良いといわれる『長靴をはいた猫』などでは何故かなく、『少年ジャックと魔法使い』とか『サイボーグ009』だったりする。それから、東映動画を出たスタッフが作った『九尾の狐と飛丸』だとか。
 怪しいマシーンの上の口から投げ込まれた子どもが、下の出口からから小悪魔に変えられ吐き出される……。
 ブラックゴーストに捕まって脳を再改造され、恐ろしい敵となってしまう003……。
 きわめつけは『九尾の狐と飛丸』かも知れない。少年主人公の幼馴染の気立ての良い少女は実は実在しないのだ。少女自身が知らぬことに、彼女の人格は妖怪がこの世に潜むために隠れ蓑としてまとった仮のものに過ぎない。ある日本性を現した妖怪のあとを追い、剥ぎ取られ捨てられた仮面でしかない少女の人格を取り戻そうとする少年のむなしい戦い……。
 自分が自分でなくなってしまうことへの不安。それを強烈な印象として抱いていた自分という幼児は、特別な子どもだったのだろうか。


 青臭くて仕方ないのをお許し願いたいのだが、1998年1月頃のノートより。

「差別とは社会を覆う既存の価値観に盲目的に従う行為なのであり、それを覆そうというからには、ここでまた別な色の旗を持ち出して振り回してはじまらず、要はそうした感情をもてるだけの他人に対する想像力があるかないかの問題だと思う。そんな想像力を抱けないとしたら、それは自己防衛本能のためなのかもしれない」
「自己防衛本能の希薄な人物ほど、お姫様的ヒロインになぞらえやすい。しかしその人物には、コンプレックスにさいなまれる他人の魂への想像力は期待できない。原作が陥ってしまったのはここだろう」
「原作のアリーテ姫とは、実は、昔話にありがちなまったく無垢なるお姫様そのものに過ぎない。だからわがままにも見え、奔放でもあり得る。けれど、だから自由だ、とはいえない。大いなる「現実」に背を向け、まるで小さな箱庭で遊んでいるようにしか見えないのだ」

 自分が描きたいアリーテと、すでに存在してしまっているアリーテ。
 自分の幼児記憶に照らしてみれば、そのふたりのアリーテを統合するために「変身」という魔法を使ったのは、偶然ではない。



  おまけ(4) 2002年02月05日(火) 


       おもしろい形の窓を、メモ代わりにスケッチして
       おいたもの。

       このほか、原作の第一の難題の「蛇」を
       首長竜に見立てた絵なども描いたりしていました。
       そのうちに難題そのものがどこかへ行ってしまう
       のですが、ダラボアが語る「動物」もその頃は
       首長竜の雛であったりしてたのです。



  おまけ(3) 2002年02月05日(火) 

       仕立て屋です。
       本編では店構えは変わりますが、
       仕立て屋であることには変わりありません。
       「一階だけ石造り」というのは、銀細工職人
       みたいなので、この形はやめたのじゃなかっ
       たかな。



  おまけ(2) 2002年02月04日(月) 


         下と同じ時期の「窓際のアリーテ」。
         窓辺そのもののイメージはすでに固定されている。



  おまけ(1) 2002年02月04日(月) 


           「大砲の街」終了の頃に描いた城のスケッチ。
           考証よりも造形に走っていた頃。



  私信 2002年02月04日(月) 

林愛奈様

ここをご覧になっておられるとよいのですが。

カルカッソンヌの絵葉書と皆さんと写った記念写真が今日届きました。
そう、その街こそ『アリーテ』のローケーションハンティングに行きたかったのに、制作スケジュールの時間的な都合で結局行くことが出来なかったというまさにその場所なのです。
だから、実際にその地に立った方から「アリーテの街並みたい」なんて言われると、うれしくてしかたなくなってしまいます。

東京はこの冬それほど寒くありません。
パリの皆さんの方こそお風邪など召されませんよう。

フランスからすてきなお便りをどうもありがとうございました。



  『アリーテ姫』今昔物語(13) 2002年02月02日(土)  

 まず監督料がそれほど出せないのは確定的なので、自分としてはほかの仕事を並行して働いてゆかなければならない。
 その当時やっていたのはテレビシリーズ『ちびまる子ちゃん』の絵コンテ・演出で、実はこれは自分としてはなかなか画期的な仕事であった。
 今までは、最初に参加した『名探偵ホームズ』以来の方法論で、絵コンテで作家作業的に作品を完成させてゆくという、要するに脚本より絵コンテでの発想を優先させるという発想が染み込みきっていたのだが、『まる子』の場合、シナリオは原作者のさくらももこさん自身が全話執筆し(現在は違う)、これに対する台詞の変更などはしないというのがルールであった。さくらさんの不動の脚本を手にしたとき、こちらの立場は「作家」ではなく「演出家」に限定することが出来たのだ。

 予算が限定されている『アリーテ』の現状で出来ることは、脚本を思い切って台詞劇にしてしまうことなのかも知れなかった。台詞の運びで舞台劇的に物語を進行させる構成で、作画密度を下げてみようと考えたのである。その素地は、『ちびまる子』での経験にあった。

 にしても、さくらさんのシナリオは人間の洞察、形象という点でもおもしろかったし、『ちびまる子』の制作システムはかなりきちんと出来上がっていた上に、スタッフも信頼できる人ばかりを固定して固めてもらえるなどの便宜すらあった。表現的なルールが定められているのも、悩む余地を減らして前へ進むことのストレスを減らしていてくれた。並行して仕事しつづけてゆくのに苦労はなさそうだった。『アリーテ姫』の制作がいよいよ佳境に入って僕の泣きがはいるまで、この並行作業はつづけられてゆく。



  『アリーテ姫』今昔物語(12) 2002年02月01日(金)  

 そういう構想を持った上で、栄子さんともう一度会った。
 栄子さんの方にもある構想があって、それは、今回の映画作りは言わば我々の名刺代わりとするものを作るのだから、内容に対する外部からの干渉を最小限にしたい。そのためにはスポンサーを募るより前にまず作り始めてしまうことなのだと。
 喫茶店のテーブルで電卓を取り出して、ふたりで最小限の製作予算を計算してみる。
「ねえ、片渕さん、自分の貯金からいくら出せる?」
「あんまり貯金ない」
 そういうところからの出発だったのだ。

 アニメーションの場合一般にいわゆるマルCというのは、原作関係と製作会社(出資者)にしかつかない。画面をデザインし、その手で作る実際の「作家」である現場のスタッフについてはそれが認められない。完成した作品そのものがその後に収入を得ても、その潤いが権利として現場スタッフにもたらされることはないのである。栄子さんは、その点に疑問を抱き、なんとか改善しようという意思を持つ稀有なプロデューサーであった。その言葉を最初に聞いたのは『魔女の宅急便』の追い込みの時、車で帰宅を送ってもらった頃なのだから、栄子さんのそれは確固たる信念なのだ。
 そうして現場で働く者を名実ともに作家足らしめようという考え方が、アニメーターのひとりひとりをクローズアップして短編アニメーションを制作してゆくという現在のスタジオ4℃のあり方に直結していったような気がするし、振り返れば4℃が保谷の平屋にいた頃からすでにそうであった。僕の場合はそれが長編だったのはプロパーの演出家なのでそれくらいのパッケージにしないと格好つかなかったからだろう。 

 映画と呼べる最小限の長さである60分ぐらいで。作画密度はテレビアニメのレベルで。それでもかまわない。とにかく作ることに意味を見つけよう。

「作画サイズは150フレームより小さくしたいけど、120でいい?」
「それが現実的なのなら」
 作画枚数どれくらい? 制作期間は? そこから逆算した原画の費用、動画、仕上げの費用。それらはだいぶ安くなってしまうが、最低レベルよりは可能な限り色をつけられるように。その上で、今の段階ではメインスタッフに限られてしまうかも知れないけれどリクープの権利をこんどこそなんとか確保しよう。

 喫茶店のテーブルで栄子さんの夢は広がる。
「椎名誠みたいにねえ、出来上がったフィルムを自分たちで映写して回るの。北は北海道から南は沖縄まで」
「ああ、楽しいだろうなあ」



  『アリーテ姫』今昔物語(11) 2002年01月31日(木) 

  『照柿』という小説を読んでいた。同じ作者の『マークスの山』は『大砲の街』のときに大友さんがその詳細にいたる取材能力を褒めておられたので記憶に残っていたのだが、続編である『照柿』はミステリーの範疇からさらに外側へ広がっていた。照柿の朱は無目的な少年期の情熱の色。そして30半ばをすぎて迎える、子どもの頃のまばゆさからいつの間にか遠いところへ来てしまっているという人生の焦燥感の色でもあった。
 なぜそれが理解できてしまうのだろうと思ったとき、自分自身転機に面していたことがよくわかった。そして同じようなことを考えているのが自分だけでないこともわかった。あとで音楽の千住明さんと話したとき、人生における惰性と言うものを否応なく見直すことを迫られる時期なのだという意味で「人間の生き方は37歳でふたつに分かれる」というようなことを言われたとき、やっぱりそうかと思った。
 その頃まさしく37歳であった自分としては、なんだかわかりにくい話で申し訳ないがそんなようなことで、今までとは違った仕事の仕方をしようと思うに至った。元々考えていた『アリーテ』は後半冒険活劇にするつもりだったのだが、そうした方法論を投げ捨てることにした。ヘリコプターと金色鷲の空中戦も全部やめだ。思えば無理のあるシチュエーションであったし。銀色馬も出したいけど多分登場の機会はなくなるだろう。原作の流れに沿うことそのものを見直し、もういちどアリーテのなすべきことを見つめなおそう。
 「37歳」という世代が確実にいるというのなら、そこへ向かって語りかけることだってしていいはずだ。







 
Cool Note Pro v4.6