スタッフを集めなくてはならない。 これが、人集めのシチュエーションだけであの長い映画の前半部を丸々費やした『七人の侍』ほどにもスムーズにいかない。
とりあえず、4℃の方から制作で笠井君というのがひとりつく。ひじょうに調子の良い男で、こういう調子のよさは大好きなので重宝することにする。最初に千秋実の「平八」が来てしまった。 『あずきちゃん』の色指定で組んだ林さんが、仕事をおくれ、と電話して来たので色彩設計に座ってもらう。仕上げが必要となるのは少し先になるはずなので、とりあえず4℃に入ってもらって『SPRIGAN』の仕上に席を置いておいて時期を待ってもらう。 たまたま森川さんが前任のスタジオを退社されたらしいので、これ幸いと昔のよしみでキャラクターデザインをねじ込む。森川さんの造形センスは貴重である。4月からなら、と森川さんには応えてもらえる。
1998年の4月である。この夏公開の『SPRIGAN』はまだまだ佳境の鳥羽口あたりで、スタジオはそのスタッフで埋まっている。『アレーテ』のためには、どこか別に準備室を作ってもらうしかない。 ……なんだって? 『アレーテ』? そう。この時期には、そういう題名になっていた。このことにはまた後で触れる。
吉祥寺にもまだこんなところが残っていたのだ。アパートの前の道は無舗装の土の道だし、DKではなくKのみついた六畳一間だ。 この安アパートの一室が我々の準備室である。机2つ、コピー機を運び込んで作業を開始する。僕はまだ脚本の続き、森川さんはキャラクターの案を並べる。それから、それまでにいろいろ買い揃えてあった資料なども持ち込む。冷蔵庫も4℃のどこかから探し出して来る。 やはり森川さんにキャラクターを作ってもらった『名犬ラッシ−』のとき、森川さんには少し昔のヨーロッパの写真集からポートレートを拾い上げて「顔」の造形のバリエーションを拾ってもらった。 「あの写真集、また貸して下さい」 ということで、ベースは以前と変わらない。次の日、写真集を持参する。 少し違うとしたら、今度は「中世」だということだろうか。そういえば『薔薇の名前』に映し出された顔がいかにも中世だったなあ。ビデオ、ビデオ……いや、その前にテレビもいるか。テレビデオを一台買って来るか。それを載せる台もいるし、まだまだこの部屋には必要なものがたくさんあるようだ。 |