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(2002年04月04日(木) 〜 2002年03月04日(月))

  励ましに感謝す 2002年04月04日(木) 

 今日は小黒さんのところの企画に参加するため出かけて、ここのコラムが中断されていることで色々言われてしまった。
 書きます。つづきは必ず書きます。
 今、ちょっと新作の仕込みで頭がいっぱいで昔のことが整理つかないのよ。それにしても「アリーテ」準備当時の、こういうこともあろうかとつけていた日記をなくしてしまったのが痛い。



  旅立ちの記念写真 2002年03月29日(金) 


 



  睡眠の話つづき 2002年03月25日(月) 

 とにかく今日は帰り道でも足取りも軽く、なんとかなった。寝溜めの効果てきめんなのである。
 ときどき、メールを送った相手とか、掲示板の書き込みを見た人から、あまりにとんでもない時刻に書いているので、「いつ寝てるのですか」と驚かれてしまうのだが、たいていそれ以外の時間はみな寝て過ごしてるようなものなので、御心配は無用。



  まったくどうでもいい話題なのですが 2002年03月25日(月) 

 このところ眠くて眠くて仕方がないのである。
 仲間うちの飲み会に行っても半分は寝ているし、昨日など昼の日中から電車の中で眠りこけ、帰宅して昼ごはんも食べずに夕飯まで昼寝をし、午後9時には床についてしっかり8時間以上寝てしまった。
 これぐらい寝溜めが出来ていると、今週いっぱいは大丈夫、と思う。



  『アリーテ姫』今昔物語(19) 2002年03月18日(月) 

 森川さんはキャラクターを毎日描いては、画用紙にコピーして水彩で色を塗り、アパートの六畳間の壁を丸々一面空けてあるところを埋めるように貼ってゆく。こちらはこちらで自分の机の横の壁に構成表を張り、ストーリーを煮詰めることで一日を過ごす。
 この辺がこの映画の準備段階の勘所なのかも知れないのだが、どうも主人公アリーテに関してだけは壁に貼ってあるものがピンと来ないのである。森川さんの描くアリーテは利発で活動的であったり、あるいは活発なお茶目であったり、表情に富んでいる。それが、どうも違う、と思ってしまった。
 そんなある日、壁にもう一枚のアリーテの絵が加えられた。はじめてアリーテに面と向かって出会ったような気がした。

 自分はこの映画に関しては観念的であるより感覚的であろうとしていたようだ。ということにしているが、言語中枢がいつもに増してお留守の日々なのである。だから言葉にならない。何というべきか言葉にならないのだが、今までのものは違い、こんどのものには純正なアリーテを感じる。
 珍しく栄子さんが準備室をのぞきに来たので、「アリーテ」を見せた。
「こんな運動神経ニブそうなの、嫌い」
 栄子さんの物言いははっきりしていた。
 その途端、アリーテとは何者なのかがわかった気がした。



  『アリーテ姫』今昔物語(18) 2002年03月13日(水) 

 森川さんには、単にキャラクターの顔立ちをデザインするのみならず、自動的に衣装のデザインもお願いすることになる。
 プロデューサーは「13世紀を舞台に」とか、企画営業用のキャッチフレーズを欲しがる気持ちが伝わってくるのだが、実のところそこまで精緻な時代考証は無理だ。ということと同時に、多少のことは捻じ曲げても演出的な効果を狙ってしまいたいという気持ちもある。
 登場人物を二群に分けてみる。城下の民草はやや古い時代の雰囲気で、城内の臣下は少し新しい時代のものから使えるものを選んでみる。騎士の鎧も古めでいく。要所を資料から汲み上げつつ、それを機軸にあとは森川さんのセンスで自在に衣装をデザインしていってもらう。

 もうひとつ、魔法使いたちは「異民族」に見せて欲しいという注文も出した。彼らのデザインソースはアジア人の顔なのである。



  帰還 2002年03月10日(日) 

 飛騨高山は背後の北アルプスの白銀の峰々が美しく、夕刻にはアルムの山のバラ色に輝いていた。
 会場となった飛騨センターの館長は俳優の渡辺文雄さんである。渡辺さんのマネージメントをする会社の山口社長も毎日顔を出しておられたが、この方は大島渚監督のプロデューサーだった人である。催しの裏で渡辺さんとお二人で語られるATG時代の思い出話などお話などとてもおもしろく、貴重な映画史のページを窺うことが出来た。
 舞台に上がってトークで『アリーテ姫』を金も無く作り始めた話をしたら、「かっての独立プロみたいなことやってる連中がまだいたよ」と喜んで下さった。僕らのは、一銭も金を持たず度胸だけでロケ地に乗り込んだという大島組に比べれば児戯のようなものだが、そう言っていただけただけで活動屋の仲間たちの端くれに加えていただけたようで、比べるのもおこがましいとは知りつつ、たいへんな幸せを感じる。
 9日に高山で上映されたのは、『セロ弾きのゴーシュ』『アリーテ姫』『ユンカース・カム・ヒア』。どれも「独立プロ」の誇り高き仕事ばかりである。と思う。



  憧れの空へ向け 2002年03月07日(木) 

 これは「趣味」なのだろうか。
 昔から飛行機に興味をもっていたのだが、最近病膏肓に入りかけている。
 思えば、『大砲の街』を作っている頃にも「正真正銘マニアックな飛行機マニアに向けて出す航空モノの企画」というのをでっち上げて栄子さんに出してみたら、「販路が期待できる」ということでオッケーが出た。ただその時には自分がイメージするほどには自分の知識が足らなかったので、やめにした。爆撃機の機内便所が良く分からなかったのである。
 最近、またその血がうずくのである。飛行機の細部もいくらか分かって来た。となると、次はそれを画面に出来るかどうかということになる。
 ということで、飛行機の造形が、しかも惚れ惚れするような曲線で構成されたそれが、画面の中で作り上げられるかどうか、ちょっと実験的にトライしてみようと思っている。CGを使ってみるのである。今、ゴチャゴチャといくつか並行している細かい仕事のひとつがそれである。



  弛緩 2002年03月06日(水) 

 このコラムにも何か書かなくてはならないと思うのだが、毎日が眠たい。年頭からこの間までテレビの絵コンテの助っ人をしていたのだが、この仕事をしていると、なぜか上半身がガチガチにこわばってしまう。終わったらぼーっとしていたい。
 ということで、絵コンテは開店休業。飛騨高山と調布へ出かける週末まではちょっと毛色の違うことをして過ごすことにする。なぜか電卓片手の数字いじりなのだ。



  新聞に載ってよかった 2002年03月04日(月) 

 実は最近、とある事情で、風邪引きなのに名古屋方面に出かける用事があってしまった。57年前に日本で作られたロケット戦闘機の復元がなったというので、その横に並んで置かれているプロペラ機ともども見学、というか、ちょっとした「取材」にお邪魔して来たのである。
 それにしても、航空機メーカーの史料室長さんに「アニメーション 監督」などという肩書きの名詞をお渡しするのはどうも気がひけてしまう。いや、別にアニメーションの仕事の件で出向いてのそれならいいのだが、今回はちょっと違うのである。どうせならワープロで別の名刺を作って持っていこうと思っていたのだが、インフルエンザのお陰でそれどころではなくなってしまった。仕方がないので、「本業はこんなことをやっております」と、ふだんの名詞を恐る恐る差し出してみる。「ふざけるな」とでも言われてしまったらすごすごと引き返すしかなかったのだが、「ほーっ。へぇーっ」と先方に笑顔が開いたので助かった。
 その後史料室長さんには色々とお世話になってしまったが、その数日後に飛騨高山の件で新聞に「アニメーション 監督」の顔写真が載ったのを見てしまわれたらしい。優しい史料室長さんは「これ、あのときの人だよ」とそれを工場に出入りする共通の知人に見せたりされたらしい。せめてこちらがもう少し有名な人間だったらもう少し喜んでもらい甲斐もあったのに、と改めて気がひける。







 
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