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(2002年05月20日(月) 〜 2002年04月21日(日))

  リラックス 2002年05月20日(月) 

 長編第二作の企画売り込み中につき、かえって少し暇になる。
 合間につなぎの仕事があることはあるが、気持ちのゆとりがだいぶ違うのである。夜更かししても大丈夫。



  アンプルさん試案(3) 2002年05月06日(月) 


 ということでとりあえず選んだのは、このEである。
 こんなに背が高いとアリーテと服の取替えっこが出来ない、という心配はまだいらない。それは絵コンテを切りつつ思いついたことなので、まだ先の話だ。
 ところでアンプルさん=高山みなみという配役のアイディアはこのころすでに腹の中にはあった。というと、小黒さんから「アンプルは『魔女の宅急便』のウルスラから引っ張ってきた人物なのか」と言われてしまうのだが左にあらずなのである。
 実は、以前『名犬ラッシー』の主人公の母親をみなみさんでいってみるつもりでいたのである。ちびっこくて、チャキチャキと良く切れる婦人のイメージだ。この案は、戦闘的なご婦人なのならいっそ吉田理保子さんに演じてもらったらどうだ、という音響監督の案でそういうことになった。おかげで現役期最後の理保子とごいっしょするという得がたい機会を得ることが出来てしまったのだが、ということでウルスラよりもメリッサ・キャラクローなのである。
 ということが内心にあってかどうか、アンプルもこのE案よりもチビにすることにした。



  アンプルさん試案(2) 2002年05月05日(日) 

 歳を食って来ると疲れは一日おいてから訪れるというが、まさにこの筋肉痛は… という話は別のところでするとして、さらにアンプルさんのデザインの試しをご覧いただく。
 昨日のをAとするとして、B〜Dも実は同時に描かれたものである。このようにたくさんの方向性を出して、演出サイドの注文の方向性を見定めようというのである。
 Bはおばさん。C、Dも依然として柔和な人物像である。
 しかし、なんというか、アンプルはもっとアグレッシヴなタイプを考えていたのである。



  アンプルさん試案(1) 2002年05月04日(土) 

 筋肉痛を押して庭いじりをした話とかをこれ以上してもしかたないので、『アリーテ姫』のメイキングに戻る。

 割と初期のアンプルである。
 原作とは違って、こちらでは初めから「アンプルはおばさんではない」という方針を持っていた。アフレコ当日、高山みなみさんから、「アンプルは何歳ですか?」と役作り上の質問を受けて、「20代半ば」と答えている。
 この絵くらいの若さと、それほど押しの弱そうな性格でも、キャラクターは成立しただろうと思う。森川さんのデザインは素直そうな人柄を描き出していて気持ち良い。これはこれで好きだったのだが、この先は主人公アリーテと並べた時のバランスで考えてゆくことになる。



  いよいよゴールデンウイークらしいことを行う 2002年05月03日(金) 

 うーんと早起きして、家族とともに妙義山へ行く。
 早起きしたのは「大型連休」で道が混むからで、妙義山なのは、適度に体を動かしたいので山歩きが良いのだが、ただ歩くつまらなさに我慢できないので、鎖場とかの軽いスリルを求めてしまうからだ。
 午前4時過ぎに家を出たというのに関越が渋滞していたのは、反対車線で何台も横転する大事故が起こっていて、その見物渋滞のためだ。人は物見高い。それを突破するとあとは楽々である。
 6時過ぎには山道をたどり始め、誰もいない森でまだ黄色い冬毛をまとったテンに出会ったりする。一枚岩の鎖場はちょっとしたもので、そのちょっとした途中で財布が尻ポケットから抜け落ち、お札やら必要経費の領収書やら振り撒きつつ先に転がっていってしまったのには笑ってしまった。
 書きつつある脚本で崖登りの場面があるので、良いロケハンになる。やはり身をもって行ってみると、示唆されるものは多い。色々と思いつけたので、明日節々が痛くなったとしても、それなりの値打ちはある。

 さかんに登り降りを繰り返して、持参したお肉やら焼いて昼御飯を食べて里に下りてまだ10時である。「仔羊にミルクをあげたい」という娘の声にしたがって、観光牧場にゆく。周りをうろうろする羊や山羊を見ているうちに、なんだか懐かしい気分が訪れる。このデジャブーの正体はなんなのだろう、と思って考えたら、『アリーテ』制作中の頃にはあちこち山羊や羊のいる場所を訪れていたのであった。しまいにはビデオカメラまで買った。
 『アリーテ』に出て来る山羊は、『魔女の宅急便』のスェーデンロケハンで撮って来た写真を元にした。だから『がらがらどん』とモデルを同じくしているということになる。台詞では「羊」といっているのに山羊なのは、山羊の方が荒地対応だからだ。画面でも描いたように、山羊は草の根まで引っこ抜いて食べてしまう。それがまた砂漠化を進ませてしまったりもする。

 軽井沢へ向かう大渋滞や、関越道下りの70キロも滞った車の列を反対車線にながめつつ、ガラ空きの道を走って帰る。



  今日の気分 2002年05月01日(水) 

 今朝はうーんと早く起きた。
 午前2時半くらいだったような気がする。
 隣で寝ている5歳の娘を見ていると、ほんとうにうらやましくなる。寝言が全部「こーんなに大きいのが買えちゃって良かったよ。クスクスクス」とか、幸せな内容ばかりなのである。笑いながら寝言を言っている。時々、娘の寝言に相槌を打ってみると、ちゃんと返事が返って来る。それもニコニコ笑顔なのである。目は閉じたままなのに。
 などと遊びつつ、二度寝もせずに本を読んで朝を迎えて、仕事場に出かけた。当然今日は寝不足で使いものにならないだろうと、自分自ら心理的な予防線を張っていたのだが、それでいてテレビサイズの短編のシナリオを、一から初めて一本まるまる書けてしまった。よほど気楽に仕事してしまったのが良かったのかも知れない。
 とうことで、大型連休中の自宅作業のノルマを会社でこなしてしまった。宿題を学校で終わらしてしまった中学生の気分である。



  やや大型連休らしく 2002年04月28日(火) 

 仕事はちゃんと完遂できた。のではないかと思う。昨日と本日の午前中2回費やしてシノプシス校了、FAX送付。あとは依頼元の反応を受けて後半4連休でもっと詰めることにする。
 急遽軽い読み物を買いに出て、3階の窓辺で読みつつ昼寝の旅に出る。今日はインターネットを一切開かない。風がわずかに冷たいが、日差しうららかに、下の方では猫が鳴いている。しまった、こいのぼりを出し忘れた。



  1週間のまとめ 2002年04月27日(土) 

 念願の昼寝3時間を成し遂げて、少し復活する。
 今週は色々な方とお目にかかった。
 22日(月)はアトリエ・ロークの川本さんと、オープロの村田さん。
 23日(火)はこのサイトのサーバーを提供していただいているF4Uさんが福岡から上京されたので仲間内でテーブルを囲む。実はネット上の知り合いだもので、F4Uさんに直にお目にかかるのはこれが初めてなのである。「ぜひ福岡の方にも映画を持って来て下さい」といわれ、恐縮する。
 24日(水)は夏休みに『アリーテ姫』の上映を計画中の佐藤良平さん。
 25日(木)は飛騨高山メルヘンアニメ映像祭のスタッフのみなさん。分厚い報告書をいただく。観客アンケートなども入っているのだが、思いのほか『アリーテ姫』お目当てで来場された人のパーセンテージが高かったようである。それが何を意味しているのか、まだ良く理解出来ずにいる。
 26日(金)は胃袋さん主催のひみつカラオケ会のお誘いをいただいていたのだが、なんだか体が動かなくなってきたのでパスさせていただく。
 27日(土)は仕事なのである。脳味噌の回転が日頃以上に悪いので、どうしようもなく昼寝に移行してしまう。それでやっとここに何か書けるような状態になる。で、仕事は? それが問題なのである。



  非文化的体験 2002年04月22日(月) 

「ガッコウ」へ行くことの楽しみに、その近所の古本屋へ寄ることがあった。
 最近流行の郊外型大型古書店とは違い、しかし本格的な在来型なれど三階建でなかなかの蔵書数を誇っていたのである。過去形で語るのは、この春に行ってみたらもぬけの殻になっていたからだ。廃業したのか移転したのか。そうなる前にひとこと教えて欲しかった。というほどの馴染ではもちろんないのだけれど、でも教えてもらっていたら、ひと財産散在していたかも知れないというのに。

 用事で電車数駅を移動する。時間の合間に本屋に入ろうとしたら、これも消えてなくなって大型薬局になっていた。ますます都会化する吉祥寺で昼飯のために行きつける食い物屋がどんどん減ってゆくのと同じくらい、気軽に立ち寄れる本屋も少なくなってしまった気がする。出版に関係のある人から、とにかく紙の本が売れない、という話を盛んに聞かされてはいたが、なんだか得体の知れぬものが足元まで迫って来たような気がしてしまう。



  道楽者 2002年04月21日(日) 

 合間を見ては道楽で妙なことをやっている。
「日本でもっとも多く生産された飛行機」というのがあるのだが、これが実際には何機作られていたのだろうかと考えるのである。この機種は記録保持者のくせに、総生産機数が本によってまちまちなのである。
 4ヶ所に分散して行われていたファイナル・アッセンブリーのうちで、ちょっと様子の知れない分工場があって気にかかっていた。
 先日、茨城県に残るその跡地付近を訪れてみた。中世の土居のように堀と土手に囲まれた四角い敷地はそのままに、今はまったく別の会社が入っている。かつてここで何機の組み立てが行われたのだろう。それが今ひとつわからない。情報が断片的なのだ。

 昨日は、所蔵のマイクロフィルムの一部が近々別の場所に移されて閲覧できなくなってしまうというので、国会図書館におもむいた。
 商売柄、といおうか、マイクロの中から本工場の始業時間や、昼休みが何分、午後の3時休みが10分、月に何日休み……と、背景の世界観みたいなものについての知識を拾い集めてしまう。まあ、こんなところか、と思っていたら、何気なくその最後に月別生産機数の表がついていた。しかも、なんと、茨城の分工場の分も完全な形で載っているではないか。場所柄もわきまえず声をあげて喜んでしまう。
 人間、そんな数表ひとつで幸福感を味わえてしまうのが面白い。







 
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