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(2002年07月01日(月) 〜 2002年05月21日(火))

  少しくたびれました 2002年07月01日(月) 

 もうしばらくすると、夏休みまで色々と忙しくなるので、ヒコーキの仕事の下準備だけしておく。なんだかさすがに、発動機とか、桁とか、油圧とか書いてないものが読みたくて仕方なくなって来る。先日買ったままになってる『雑兵物語』とか、『全集黒澤明・最終巻』に、いよいよ目を通す時期が来たのかも知れない。
 『海は見ていた』の冒頭だけちらちらっとシナリオを読んでみる。いちばん山本周五郎らしい、花色の淡い朝顔みたいなこの感じ。
 そういえば今年はアサガオの種を蒔き忘れていた。



  世の中疑問多し 2002年06月30日(日) 

 残り少なくなってきた前期だけの授業で、『龍の子太郎』を見せようと思い立つが、なんと数件回ったレンタルビデオ屋にすべてない。去年の今頃は確かあったと思うのだけれど、何か切ない。
 東映長編としてもその最後期を飾る『華』だと思うし、生涯かけて12本しか作られなかった浦山桐郎監督作品の貴重な一本でもある。80年代頭には、「監督」か「監修」で実写監督の名を冠した劇場アニメーションが大挙作られているが、そういう存在が名義貸しではなくほんとうに大真面目に取り組んでいるという意味でも稀有な作品なのだが。

 に比べて、『うしろの正面だあれ』がどこにでも置いてあるのは、めでたい。しかも、かならずジブリのコーナーにあるのだが、何がどうなるとそういうことになるのだろう。



  記憶喪失 2002年06月22日(土) 

 昨日、日本アニメーション協会理事にして事務局長の片山雅博さんから、スタジオに突然の電話。というより、片山さんは自分も属しているグループえびせんの代表で、学生時代からの友人だ。
「ごめんな片渕。俺、病気して入院してただろ。それで事務のことがガタガタになっちゃってさあ。もしかして、協会の総会の通知のハガキ、片渕のところに出し忘れちゃったかもしれない。あのさ、もし良かったら来てもらえる? うん、それがさ、実は、その、急な話でたいへん恐縮なんだけどさ、明日なんだよ。何せ急なことだから、駄目だったらかまわないけどさ」
「何をおっしゃいますやら」

 ということで、今日はアニメーション協会の総会に出かける。愛知に住んでいるのでめったに顔を見れないはらひろしさんや、みんなにお目にかかるためにも。
 前半は議事である。活動方針や、収支決算や、役員選任についての報告と、「異議なし(拍手)」の繰り返しだが、この協会のそれはさすがに口当たりよく、和やかに終わる。
 そのあとは懇親会に顔を出す。その合間にも「私は今これこれの活動をしてますので、どうぞ、皆様よろしく」のマイクの前での紹介が続く。
「・・・ということで、ラフォーレ原宿で開かれます。当協会の片渕会員のトークなどもあり・・・」
 そこで思わず変な声を上げてしまったものだから、一同の目を集めてしまう。
 すっかり忘れてた! たしかにそんなことを頼まれていた。
「しまったなあ、喋ることまとめなきゃあ」
 その段階でもまだ余裕をこいていたのだ。
 帰りに受付をのぞくと、その原宿の催しのパンフが置いてあるので手に取る。
「ほんとだ、すっかり名前が刷り込んであるよ。23日かあ、来週の日曜だっけ」
「片渕ぃ、23日って明日だよ」



  よろしく頼む 2002年06月21日(金) 

 いろいろあって、ここへの書き込みがままならない。
 まず、スタジオのネット環境が変わって、仕事の合間の発信が出来なくなってしまったというのがひとつ。とにかくマックが使えない。だ物で、私物のウィン機を持ち込んでみるが、これがなんともLANにつながるように設定できない。

 そうこういいつつ、制作部でもパイロットフィルムへの下準備が始動し始めた。電話機にかじりつく吉田君の姿は頼もしい。よろしく頼む。



  いよいよとりかかる 2002年06月11日(火) 

 なんと、次回作の絵コンテに手をつけている。
 もっともパイロット・フィルム用に、なのだが。
 にしても、やはり絵面で考えた方が、決まるものは決まる。具体的な形を作り出さなければならない以上、文字で発想していたときほど優柔不断にならないのだ。

 そのほかにも仕事が(しかも二つも)決まってしまって、矢でも鉄砲でも受け付ける気分。



  前進微々速 2002年06月04日(火) 

 昨日出したパイロットの案は、予算面から逆算したプランだったのだが、企画営業の立場からは「ドカンと派手な映像を」というそれもまたもっともなリアクションが返ってくる。元々企画を売るための手段なのだから、いうことを聞いてあげようと思う。
 明日から独りで準備班開業である。それならば名目は立つ、ということで、今まで買った資料の本代の領収書を経理に出す。「アリーテ」のときは全部自前で本を買ったが、今回は予算に計上してもらう。



  とりあえずの始動 2002年06月03日(月) 

 次回作、制作に「アリーテ」と同じ吉田君がつく。
 プロデュース方面から、ふたりで相談してパイロット映像を作ることを考えてくれといわれる。そうね、それもいいかもね。



  71はまだ若い。 2002年06月01日(土) 

 朝起きたてのショッキングは、矢川澄子さん死去の報である。その文章には、何ものにも換え難い繊細な透明感があった。



  病膏盲に入る 2002年05月31日(金) 

 今日はコンテを上げて、またひと仕事終わらせる。
 その後、なぜか末席に加えていただくことになったとある航空関係団体の会合に出かける。年例会自体は、こちらも会員に加えていただいている日本アニメーション協会のそれとまったく変わらないのだが、ヒコーキ好きの会員諸氏は戦中戦後以来の超ベテランばかりなのである。なんだか川本喜八郎さんばかりで構成された協会の感じ。
 自己紹介の場に立たされて「漫画映画など作っております」と挨拶するのもさすがに場違いな感を強くしていたところ、若い女性会員の方から声をかけていただく。航空博物館などの展示関係の仕事をしているというその方曰く、
「わたし、前に東京ムービーにおりました」
 世の中まったく狭いのである。



  いろいろあってしまう 2002年05月21日(火) 

「タイヤバースト」ってどういう状態になるのだろう、と思いつつ車に乗っていたら、首都高上でほんとにバーストする。
 ロケハンやり直しとなる。

 帰宅すると、新聞にスティーブン・ジェイ・グールド博士の死亡記事が載っている。







 
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