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(2002年12月02日(月) 〜 2002年10月06日(日))

  雨が降っても青空 2002年12月02日(月) 

 ここのところ忙しかった仕事が、11月いっぱいのはずのところ2日オーバーしてとりあえずは手を離れて、忙殺から解放される。
 このあと何をしてゆこうか、これから考えるが、とりあえず今日いっぱいは何もない自由を満喫することに。



  『ハイジ』 2002年11月13日(水) 

 6歳になった娘が『ハイジ』をいたく気に入り、一週間意に一本借りて来るレンタルビデオで見ている。
 横でほかのことをしていた父親も思わず画面から目が離せなくなってしまう。今日はフランクフルトの高い塔に登って山がみえなかったところまで。ビデオに入っていた5本が終わると、きゅうっと胸が締め付けられるような気がして来る。
 見終わって名残惜しむ娘とともに、福音館の矢川澄子訳版『ハイジ』を開く。パウル・ハイの挿絵を一枚ずつ指差して、これがおじいさん、これがペーターのおばあさん、それからこれが今日見た塔の番人、とひとつひとつ確かめてゆく。まだ見ぬ物語の終わりまで、挿絵で先読みする。
 終章、山を下ってゆくクララを見送るハイジとペーターの絵。楽しかった山の暮らしも彼女にはもうおしまい。あらゆる物語は、やがて終わりが来るものだけに切ない。通り過ぎる季節もまたそう。成長を重ねるハイジたちの姿にすら、それは潜んでいる。



  昨日この欄に書き込んだときには、見事に酔っ払っていた 2002年11月04日(月) 

 結婚式場から会社まで、タクシーで眠りこけながらたどり着いて書き込むだけ書き込んで、また寝てしまったのだ。
 二次会では、会社を移っていった人たちの元気な顔々と久しぶりに再会でき、慶び事の余得としても実にありがたく、まずもってめでたかったのだが、さすがに朝から飲みっぱなしでは無理が利かない。プロデューサーもカントクも沈没寸前の巻になって、もうガタガタ。



  田中プロデューサー号泣の巻 2002年11月03日(日) 

本日はお日柄も良く、『アリーテ姫』の制作途中で運命的出会いを遂げてしまったというスタッフS君とMさんの結婚式。たまにはこういうこともなくっちゃウソだよね。にしてもふたりはクソ忙しい中、何をしておったのか。仕事の結果を十分以上に上げてもらってるから、細かいことはいわないが、ふたり並んでる姿を今日始めて拝見してしまったぞ。
披露宴の最後、新郎新婦のご両親への花束贈呈のシーンで田中プロデューサー感極まって大泣き。たしかに、希に見るような幸せに包まれた結婚式だったもんね。
しかし、まだまだ終わらない。本日夕刻から結婚成就を祝う二次会なのだ。泣かされてしまった田中Pの逆襲なるか。コワい。はっきりいって成り行きがコワいぞ。



  まだ封切ってないので、中身は未見 2002年11月02日(土) 

初披露のレンタルビデオ版、パッケージ。
中身も出来上がってちゃんと入ってます。



  稲妻と雷 2002年11月02日(土) 

 パソコンにもDVDドライブを付ける。
 さっそく買ってきたディスクは『ナチュラル』。つい先日放映があったばかりなのだけれど、新品のビデオデッキに不慣れで録画失敗。その悔しさとともに。
 この映画はずっと前に一度だけ見ている。映画は見て焼き付けるもの、というのが持論だが、一度だけ見た『ナチュラル』の響きは『アリーテ』にまで届いている。ところが、先日チラッとテレビで見て、忘れてるものの大きさに気がついてしまったのだ。

 DVDプレイヤー付のビデオデッキには、ステレオアンプとスピーカーをつなぐ。20年以上前にバイトした金で買い、テープデッキも壊れ、廃品同然に仕舞いこんであったアンプだ。外部入力が付いてるのがこれしかなかったので。なんてことはないミニコンポで、音もそれほどでもないかと思っていたのだが、なぜかDVDとは相性がよく、小さなスピーカーから重低音を放ってみせる。その振動は部屋のブラインドを振るわせるほど。階下の家族は雷がとどろいているのかと思ったという。
 今更ながらにワンダーボーイとでも名づけようか、カムバック選手のこのアンプ。



  2002年10月20日(日) 

 日曜日、友人とともに時を越える旅に出た。友人は中世史に造詣深く、その舞台となった土地を訪れたいというので、道案内を買って出てしまったのだ。
『アリーテ姫』と違って、我が家の近所、ふたつの川にはさまれた南北20キロぐらいの土地の中世。
 700年前の地勢を想像しつつ軽自動車を走らす。神社ごとにいわれを読む。道路地図と地形図を見比べる。江戸時代以降の新しい集落を頭の中で打ち消し、その当時すでに存在していたはずの里だけにしてみる。地形の凹凸を読む。思いのほか古道の在り処がわかる。植生を思い浮かべてみる。水場はどことどこにあるか。あの丘に陣はあったのか、なかったのか。
 以前通勤に使っていた幹線道路は森の中の一本道に姿を変え、狼の唸り声までが聞こえて来る。毎日子どもを保育園に送る道が、合戦のための進撃路に変わる。軍勢はこの道を通っただろうこと、なぜその道でなければならないかがわかった。わずか数日の戦争で滅亡した王朝の事情が垣間見えたような気がした。
 驚いたことに、自分がふだん何気なく通るごく近所の交差点が交通の要衝であり、3000の兵士たちがそこで敵を待ちうけ、命がけで守るべき軍事上の重要拠点だった。
 たった7時間の彷徨ののち、日暮れとともに帰宅した頃には、すべての風景が変化していて、実に面白い。



  金色の円盤 2002年10月15日(火) 

 ビデオデッキが壊れたので、子どもたちに下げ渡して分解刑に処す。なぜか中学生の息子が集積回路を欲しがって、基盤から引き剥がそうとしている。やはり「頭脳」が欲しいのかしらん。昔は同じように時計をバラして歯車を取り出したりしたものだ。
 新しいビデオデッキが必要になったので買い求めたら、DVDの再生もついている。こりゃあDVDの世の中なんだな、と改めて思った次第。
 DVDは何枚か家にあるが、すべてもらい物。お金出して買ったのは、先日の話のネタの記録映画版「メンフィス・ベル」だけ。何か買ってみようか、と思いつつ、今日はレコード店の前を素通り。



  これがそれだった 2002年10月10日(木) 

吉祥寺「アリーテカフェ」で配るという、ジオラマです。
一個分捕って来ました。



  亜成層圏のリアル 2002年10月06日(日) 

 ヒコーキ好きの御仁たちとともに、「メンフィス・ベル」を2本見比べしてみる。この欧州戦線で初めて25回の出撃からの生還を達成したB−17爆撃機の映画は、2本存在するのである。
 1本は「ローマの休日」のワイラー監督が1943年当時実際に「メンフィス・ベル」号その他に搭乗して撮影した記録映画、良く知られている1990年の劇映画版はワイラーの娘がプロデュースしたものだという。
 劇映画版は記録映画の画面を良く研究して再現しているが、決定的な臨場感がまるで違う。現れる爆撃機の機体は新品のように油の染みもなく、登場人物のコスチュームですら着古した感じがない。そこで少しくがっかりさせられたかわりに、現実の何と何の要素をどのように再構築して「物語」を作り上げていったのかその過程を垣間見ることも出来た。そこに「現実」しかなく「ドラマ」がない時に、いかにも面白くこしらえごとを積み重ねていかなければならなかった苦労がよくわかった。
 その上でいうのだが、「現実」に勝る迫力を持ち込むことは難しい。本当に奪われてしまった人の命で贖われた映像だという重みを除いたとしても、なおやはり。現実から取材した映像を編集で組み立てる作為にすら、実際に体験した者にしか語れない味わいが感じられる。2万5千フィートまで上昇するのがただ事ではなかったことまでが、印象として残る。高空は遠く、重畳とたなびく飛行機雲はそれでも美しい。
 記録映画の1カット1カットに見入る時、そこには有限な作為では構成し得ない無限の現実が潜み、無限の感慨も横たわるはず。

 では、劇映画は須らく劣るのか、といえば、そんなことは絶対にない。ついでに、ベッソンの「ジャンヌ・ダルク」も見たのだが、この映画のラストで「聖女」ジャンヌが気づく取り返しのつかないものは、あまりに切実で重い。心の真実という「現実」もたしかに存在するのである。







 
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