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[戦時下のくまのプーさん](2003年04月03日(木))
 ある有名な作品の企画をされた方に、なぜその原作を選ばれたのか、と問うてみたら、
「ああ、戦後すぐかな。岩波文庫で読んで、心が広がる思いをしてね」
 と、まったく商売っけ抜きのお答えだったので、とても嬉しかった。良心作といわれるものは、企画の原点からしてそういうものなのだ。
 ふと思い立って、岩波書店での海外児童文学紹介の歴史をのぞいてみようとして、たまたまそれをリストアップされている方のサイトに行き着いたので、参考にさせていただく。
 昭和のはじまり以来、ギリシア・ローマ神話を最初に、「小公子」「クオレ」「グリム童話」「クリスマス・カロル」「青い鳥」と発刊がつづき、以下「イワンの馬鹿」「あしながおぢさん」「ピータァ・パン」「ハイヂ」「王子と乞食」「宝島」と並んでゆく。その並びは、自分たちが子どもの頃の名作児童文学のラインナップとまったく変わらず、子どもの世界には昔も今もないのだな、という思いにかられてくる。
 さらに岩波は「アンデルセン童話集」「シャーロック・ホームズ」のシリーズ、「家なき児」「熊のプーさん」「ガリヴァの航海」「ハックルべリイ フインの冒険」「家なき娘」などを戦前の子どもたちに紹介しつつ、昭和16年12月の「開戦」を迎える。
 太平洋戦争に突入直後から、「敵性」欧米児童文学の刊行は一切途絶える。それはおろか、日本の作家の児童文学書のすら出なくなって、かわりに「小国民のために」と題した理科知識の本ばかりで埋まってゆくことになる。マリアナ失陥後、つまり日本本土が空爆に曝されるのが隔日となった19年夏以降は、それも完全になくなり、子どもたちへの「ものがたり」の世界は、まったくの闇に閉ざされる。
 そんな対米英の戦争もたけなわな昭和17年6月27日を発行日として、イギリス人A・A・ミルンの著である「プー横丁にたった家」がただ一冊ポツンと出版されている。
 黄昏にひらいた一輪だけの月見草。
 この出版にはどういう事情があったのかわからないし、果たして当時の書店でそれがどのように取り扱われ、親たちが子どもにどのように買い与えたものなのかもわからない。ただただ、とても印象的な「事件」だったとしか思えない。
 これから先、「プーさん」を見る自分の目が変わってゆきそうな気がする。ふと手にとって、戦争の空の下、家の奥でこっそりと秘密の宝箱を開くようにひもといた子どもの心境になって、当時と変わらないはずの石井桃子さんの訳文に接してみようかな、と思ってしまう。


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