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[趣味の話](2001年08月20日(月))
 僕が最初に名前を覚えたアニメーター、個人としてのその存在を認識したアニメーターとは、言わずと知れた大塚康生さんである。実は大塚さんの名は模型雑誌や模型メーカーのPR誌でひじょうに度々拝見していた。それから『侍ジャイアンツ』のクレジットでも何故かその名前だけが頭に残っていた。ただよくある話で「アニメーションの大塚康生」と「軍用車両研究の大塚康生」が同一人物だとは気づかなかったのである。ある日高校で、アニメーションに詳しい上級生からアニメーションの研究誌のようなものを見せられ、そこではじめて二人の大塚康生が実は同一人物だと知る。このことは個人的にはかなり重大なことで、その大塚康生さんの新作がはじまる、というので『未来少年コナン』を見はじめ、今に到ってしまうのである。大塚さんの軍用車両の研究はひじょうに詳しく、また、いったいその当時の日本でほかに誰が興味を持つのだろうというほどにとんでもない方向を向いており、それゆえにひじょうに貴重なものだった。イギリスの装甲車のトルコン変速機の原理を読みたくて仕方がないという人がそれほど存在したとは思えないのだが、大塚さんはそれを平然とプラモデル雑誌の原稿にしておられた。
 ところで、そういうものを読んでいた僕というものも、実は多少その方向に偏向しているのである。『未来少年コナン』にはいろんなところにを刺激されたが、飛行艇ファルコにエリコン機銃が積んであったり、研究用に仕入れた絵コンテでは改造後の重武装ファルコにシャークマウスのマーキングがしてあるのを見て、宮崎駿という人のマニアぶりを知ってしまうのである。
 『魔女の宅急便』で机を並べていたときは、二人でかなりその手の話題に興じていた。
「なあ、九七艦偵ってあったの知ってる?」
 これは、質問としては序の口である。そのくらいこっちだって簡単に答えられる。
 もっと時代が下って宮崎さんがポルシェ・ティーガーの漫画を描いておられたころなんか、名前を呼ばれるから仕事のことかと思って宮崎さんの部屋へ行ってみると、宮崎さんは生産中のティーガー戦車の写真に定規をあてているところだった。
「なあ、この装甲板、何ミリだと思う?」
 一時さかんにジブリに残ってくれと言いわれていたのだが、聞いてみると「宮崎さんの話し相手を引き受けるために」ということでだった。さすがにこちらも仕事をしなければならないのでそれは勘弁してもらった。
 『アリーテ姫』の開始直前、というと僕の仕事史の中でももっとも忙しい頃だったのだが、ちょっとした精神の箸やすめのような気持ちで、ある飛行機について製造番号と生産時期を掏り合わせるという妙な「自由研究」を個人的にはじめてしまった。傍から見れば、なんでこんなことをそんなに一生懸命、というのが趣味の道でなのある。


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