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[予見しない](2001年12月02日(日))
 レンタルビデオを返しに出た妻から電話がかかる。
「今日、一本100円だって!」
 なんでもいい、と答える。今一番見たい映画はその店には無いのはとっくに知っている。
「ゼメキスなら文句言わない?」
 さすが、無難なところをよく心得ている。
 ということで『キャスト・アウェイ』を観る。その時点でそれが何の映画だったか忘れている。あんなにテレビ・スポットを見せつけられたのに。それはまた好都合な話なのである。映画学科時代の友人のひとりは、「映画とは観客に驚きを提供するもの」と、きわめて明確な定義を持っていた。良い友人を持ったと思う。実際今日観た映画の監督もそのあたりを押さえている人で、冒頭からそれが何の映画なのだかまったく予見させない展開を形作る。このリズムは好きだ。
 話の骨子は語り尽くされた古臭い漂流譚だし、その後に待ち受けるものにも格段の目新しさはない。それは映像詩のような丁寧な描写で描いても完全には繕い尽くされはしないが、だけど、このどこへ転がるのかわからない冒頭がそこにあることでそれは意味を持つ。まったくもって何の映画が始まったのかを判らせようとしないのだ。ここから出発して「宅配便業者のプロフェッショナリズムの話」も作れるだろうし、「国境を股にかけた浮気話のコメディ映画」にもなり得る。あるいはスパイ映画だったとしても驚かない。そうしたオープンな可能性をもって語り始めながら、すべての可能性を切り捨てて無人島という細い瓶の口に流し込まれる。そのとき、我々は人生というものの不思議な意味のかけらを拾うのである。「行く手に広がる無限の可能性。だが、それが無限であったことなど一度も無い」。


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