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[第2日](2001年12月19日(水))
フォーラムはパリ市のど真ん中にある。宿もそのすぐ近く。ルーブル美術館とかノートルダム寺院とかが歩いて数分という地の利なのである。
早起きしてしまったので、ひとりで散歩に出る。ここは日本とは8時間時差がある上に、緯度の関係で日の出がすごく遅い。妙な時間に目覚めて夜明け前の町中を歩くことになる。やがて、町並の窓硝子が暁に輝き出す頃、ワークショップの先生に「出勤」される大塚さんとばったり出会う。
「いやあ、くたびれる。僕なんかもう齢なんだからほっといてくれるといいんだけどね」
そうはいかない。世界のアニメーターが大塚さんの教えを待っているのだから。
9時半に通訳のヴァンソン君が迎えに来る。フォーラムの会場を案内してもらう。大塚さんがワークショップで教えておられるところも見学する。
「ここはこうしてね、こういうポーズにしたほうがね……」
生徒の原画に修正用紙を当てて上から自分の線を入れられる大塚さんのお姿を久しぶりに拝見する。自分が演出をはじめたときも、原画チェックの仕方を同じように教わったので、ひじょうに懐かしい。
そのとなりの部屋では、高畑さんの『ゴーシュ』の背景や、その昔大塚さんが『やぶにらみの暴君』を研究されたときのスクラップブックや模写が展示されている。『アリーテ』の美術もここに並ぶはずだったかと思うと少し残念。
日本への留学経験があるので今回の通訳となったというヴァンソン君は、しかしアニメーションのことはあまりよく知らないというので、このギャラリーの展示物をひとつひとつ説明してあげる。
「これが原画で、こっちはその上に修正を乗せた作画監督の絵」「セルにはこうやって裏から絵の具を塗って、表に返すとほら、こんな感じ」「これは椋尾さんというアートディレクターの絵。残念なことにもう亡くなってしまった」
椋尾さん独特の水洗いの技法まで説明してしまう。
僕の今日の仕事は取材対応である。予定表を見ると7件ぐらい入っている。あまりに多いだろうということで、イランさんが2件ぐらいキャンセルにしておいてくれている。最初の取材の人の前で喋りはじめると、「あれ?」と言う。「今さんじゃないんですか?」「この人は片渕さんです」とこちらの通訳。「あれれ?」とかフランス語で言っている様子。どうも、今さんへの取材を申し込んだのが間違えて僕のほうに振られてしまっていたらしい。ということで、また1件減る。
インターネット・サイトの取材というのもある。インタビュアーより、横でビデオを回してるカメラマンの方が日本のアニメーションに詳しいらしく、時々妙に明確に口を挟んでくる。あとでイランさんが言う。
「そうだ。彼が例の『フランス・ファイブ』の作者なんです。言うの忘れてました」
なんだ、それを早く教えてもらっていればもう少し話が弾んだかもしれない。日本でも知る人ぞ知る『フランス・ファイブ』のビデオを日本に持ち込んだのは実はイランさんなのである。
昼食時、フォーラムのディレクター、カワ=トポールさんが、「実は15日土曜日にも、子ども向け上映のプログラムで『アリーテ』を上映しました」と、教えてくれる。小さい子どもが見て退屈しなかっただろうか。
「字幕が読める8歳以上限定、ということにしたんですが、もっと小さい子もたくさん入ってしまった。けれど、彼らも熱心に画面に見入っていましたよ。騒いだりせずに」
ほんとかなあ。カワ=トポールさんはひじょうに気を使って下さる人なのである。
16時からの取材が今日の最後。「La Gazzette des Scenaristes」誌という。表紙のデザインなどひじょうに凝っていて、ほんとうにシナリオ雑誌なのだろうか。ここの女性記者の方は15日に『アリーテ』を見ておられ、ひじょうに的確な質問を投げて来られる。こちらも答えるのが楽しくなってしまって、どうせ今日の最後だし、1時間以上予定をオーバーして話し込む。せっかく持って来た背景や原画もここぞとばかりに見せびらかしてしまう。
明日はもう今さんが帰国してしまわれるので、せめてもの市内観光にと大型タクシーを借りてあちこち回ることになる。あちこち、というかルーブル美術館でも「寒い」と言って降りなかったし、ほとんどシャンゼリゼ大通りを凱旋門まで往復するだけだった。しかし、時まさにクリスマスシーズンのシャンゼリゼは電飾も美しく、渋滞する車の列の明かりですら電飾のようで美しく、いたくご機嫌になられた大塚さんの口から「おおー、シャンゼリゼー」の歌が何度も飛び出す。「ここもシャンゼリゼだよね。ここも、ここもまだシャンゼリゼだよね!」
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