CoolNote
戻る

[『アリーテ姫』今昔物語(12) ](2002年02月01日(金) )
 そういう構想を持った上で、栄子さんともう一度会った。
 栄子さんの方にもある構想があって、それは、今回の映画作りは言わば我々の名刺代わりとするものを作るのだから、内容に対する外部からの干渉を最小限にしたい。そのためにはスポンサーを募るより前にまず作り始めてしまうことなのだと。
 喫茶店のテーブルで電卓を取り出して、ふたりで最小限の製作予算を計算してみる。
「ねえ、片渕さん、自分の貯金からいくら出せる?」
「あんまり貯金ない」
 そういうところからの出発だったのだ。

 アニメーションの場合一般にいわゆるマルCというのは、原作関係と製作会社(出資者)にしかつかない。画面をデザインし、その手で作る実際の「作家」である現場のスタッフについてはそれが認められない。完成した作品そのものがその後に収入を得ても、その潤いが権利として現場スタッフにもたらされることはないのである。栄子さんは、その点に疑問を抱き、なんとか改善しようという意思を持つ稀有なプロデューサーであった。その言葉を最初に聞いたのは『魔女の宅急便』の追い込みの時、車で帰宅を送ってもらった頃なのだから、栄子さんのそれは確固たる信念なのだ。
 そうして現場で働く者を名実ともに作家足らしめようという考え方が、アニメーターのひとりひとりをクローズアップして短編アニメーションを制作してゆくという現在のスタジオ4℃のあり方に直結していったような気がするし、振り返れば4℃が保谷の平屋にいた頃からすでにそうであった。僕の場合はそれが長編だったのはプロパーの演出家なのでそれくらいのパッケージにしないと格好つかなかったからだろう。 

 映画と呼べる最小限の長さである60分ぐらいで。作画密度はテレビアニメのレベルで。それでもかまわない。とにかく作ることに意味を見つけよう。

「作画サイズは150フレームより小さくしたいけど、120でいい?」
「それが現実的なのなら」
 作画枚数どれくらい? 制作期間は? そこから逆算した原画の費用、動画、仕上げの費用。それらはだいぶ安くなってしまうが、最低レベルよりは可能な限り色をつけられるように。その上で、今の段階ではメインスタッフに限られてしまうかも知れないけれどリクープの権利をこんどこそなんとか確保しよう。

 喫茶店のテーブルで栄子さんの夢は広がる。
「椎名誠みたいにねえ、出来上がったフィルムを自分たちで映写して回るの。北は北海道から南は沖縄まで」
「ああ、楽しいだろうなあ」


戻る
Cool Note -i v4.5 CoolandCool