CoolNote
戻る
[『アリーテ姫』今昔物語(11) ](2002年01月31日(木))
『照柿』という小説を読んでいた。同じ作者の『マークスの山』は『大砲の街』のときに大友さんがその詳細にいたる取材能力を褒めておられたので記憶に残っていたのだが、続編である『照柿』はミステリーの範疇からさらに外側へ広がっていた。照柿の朱は無目的な少年期の情熱の色。そして30半ばをすぎて迎える、子どもの頃のまばゆさからいつの間にか遠いところへ来てしまっているという人生の焦燥感の色でもあった。
なぜそれが理解できてしまうのだろうと思ったとき、自分自身転機に面していたことがよくわかった。そして同じようなことを考えているのが自分だけでないこともわかった。あとで音楽の千住明さんと話したとき、人生における惰性と言うものを否応なく見直すことを迫られる時期なのだという意味で「人間の生き方は37歳でふたつに分かれる」というようなことを言われたとき、やっぱりそうかと思った。
その頃まさしく37歳であった自分としては、なんだかわかりにくい話で申し訳ないがそんなようなことで、今までとは違った仕事の仕方をしようと思うに至った。元々考えていた『アリーテ』は後半冒険活劇にするつもりだったのだが、そうした方法論を投げ捨てることにした。ヘリコプターと金色鷲の空中戦も全部やめだ。思えば無理のあるシチュエーションであったし。銀色馬も出したいけど多分登場の機会はなくなるだろう。原作の流れに沿うことそのものを見直し、もういちどアリーテのなすべきことを見つめなおそう。
「37歳」という世代が確実にいるというのなら、そこへ向かって語りかけることだってしていいはずだ。
戻る
Cool Note -i v4.5 CoolandCool