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[亜成層圏のリアル](2002年10月06日(日))
ヒコーキ好きの御仁たちとともに、「メンフィス・ベル」を2本見比べしてみる。この欧州戦線で初めて25回の出撃からの生還を達成したB−17爆撃機の映画は、2本存在するのである。
1本は「ローマの休日」のワイラー監督が1943年当時実際に「メンフィス・ベル」号その他に搭乗して撮影した記録映画、良く知られている1990年の劇映画版はワイラーの娘がプロデュースしたものだという。
劇映画版は記録映画の画面を良く研究して再現しているが、決定的な臨場感がまるで違う。現れる爆撃機の機体は新品のように油の染みもなく、登場人物のコスチュームですら着古した感じがない。そこで少しくがっかりさせられたかわりに、現実の何と何の要素をどのように再構築して「物語」を作り上げていったのかその過程を垣間見ることも出来た。そこに「現実」しかなく「ドラマ」がない時に、いかにも面白くこしらえごとを積み重ねていかなければならなかった苦労がよくわかった。
その上でいうのだが、「現実」に勝る迫力を持ち込むことは難しい。本当に奪われてしまった人の命で贖われた映像だという重みを除いたとしても、なおやはり。現実から取材した映像を編集で組み立てる作為にすら、実際に体験した者にしか語れない味わいが感じられる。2万5千フィートまで上昇するのがただ事ではなかったことまでが、印象として残る。高空は遠く、重畳とたなびく飛行機雲はそれでも美しい。
記録映画の1カット1カットに見入る時、そこには有限な作為では構成し得ない無限の現実が潜み、無限の感慨も横たわるはず。
では、劇映画は須らく劣るのか、といえば、そんなことは絶対にない。ついでに、ベッソンの「ジャンヌ・ダルク」も見たのだが、この映画のラストで「聖女」ジャンヌが気づく取り返しのつかないものは、あまりに切実で重い。心の真実という「現実」もたしかに存在するのである。
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